メキシコは遠い国である。
地理的には地球の裏側であり、飛行機は乗り継ぎの時間を合わせると24時間ほど掛かる。とはいえ、交通手段が整っているし、政治的にも渡航は容易であるから、北朝鮮なんかよりも『近い』国であるかもしれない。地球の裏側に行くのに、たった24時間で行けるのだと思えば、なんて近いんだと思うべきなのかもしれない。
しかし、やはりというかなんというか、24時間の旅路というのはきつかった。
成田空港からアメリカのヒューストン空港を経由し、メキシコシティ国際空港へと行くルートだったが、ヒューストンまで行くのに12時間以上掛かる。これまで6時間掛かる名古屋から東京までの深夜バスでもしんどいと思っていたけれど、エコノミーシートで12時間というのはそれよりも遥かにきつい。
メキシコには教授と博士課程の先輩と僕で三人で行った。飛行機のエコノミー三列シートで男二人に挟まれて12時間過ごすという苦行を想像して頂きたい。海外旅行のフライトで暇を潰すにはシートに備え付けられたモニタで映画を見るのが常套だが、不幸なことに太平洋のど真ん中辺りでモニタが反応しなくなり、やみくもにボタンを押したりしているうちに、Windowsのブルースクリーン画面が表示されうんともすんとも言わなくなってしまった。ああ、飛行機のモニタはWindowsで動いているのだな、などと納得してみたが、まだ半分以上フライト時間は残っている。
仕方がないので持ってきた本を読むことにした。いつも僕は旅行の際に本を持参し過ぎて後悔するのだが、今回は日本語のない環境に行くということでいつもよりも多めに本を持って行った。多分10冊くらい持って行ったと思う。ほとんどはスーツケースに入れており、ドストエフスキーの『白痴』だけが持ち込み鞄の中に入っていた。
ドストエフスキーは好きな作家のトップ3には入るけれど、登場人物たちが強烈すぎて読んでいると眩暈がする。長時間フライトのお供には向いていない小説だし、ましてや男二人に挟まれて12時間を過ごしながら読むのにうってつけとは言い難い本だった。
隣に座っている先輩に、
「本を読むのも疲れますね」と話しかけると、
「疲れるような本を読むのが悪い」
と素っ気なく言われた。そんな先輩はその頃に流行っていたマイケル・サンデルの文庫本を読んでいた。僕は肩を竦めたくなったが、狭いエコノミーシートでは肩を竦める動作さえもままならない。ただただウィンドウズのブルースクリーンを見つめながら、残りのフライトを過ごした。
12時間のフライト中に3回も機内食が出て、フォアグラにされる鵞鳥のような気分になった。なら食べるなよ、と思われるかもしれないが、国際線に初めて乗った僕は機内食を食べずにはいられなかったのだ(単に貧乏性なのかもしれない)。ヒューストンに着いた時にはボロ雑巾のように疲弊していた。
だが辛いのはまだ終わらなかった。次のフライトまで6時間ほど空港で待たなければならなかった。しかも、アメリカというのはトランジットのみでも入国審査が必要になる。さらにestaと呼ばれる14ドルの渡航認証を支払わねばならない。先輩などは「だからアメリカは嫌いなんだ」と終始不機嫌だった(といっても、この先輩は大体いつも不機嫌なのだが)。
入国審査もかなり厳重で、わざわざ靴を脱いでボディチェックを受けなければならない。さすがは被テロ国である。
ボディチェックをした監査官は長髪のくせ毛をした痩せた髭面の男で、『バッファロー'66』に出ていた時のヴィンセント・ギャロにとても似ていた。
僕がX線検査ゲートをくぐろうとすると、
「他に何も持っていないのか?」
ヴィンセント似の監査官は苛立たしそうに言ってきた。
僕がちょっと鞄をそこらへんの台に置くと、
「そんなところに鞄を置くんじゃない」と声を荒げた。
ヴィンセントはたくさんの人をチェックすることにうんざりしているようだった。なら検査するなよ、と思うがそれがアメリカなのだからしょうがない。一通り僕の体をチェックした後に、ヴィンセントはわざとらしく鼻をひくつかせて、
「お前、機内食の匂いがするな」
などと失礼なことを言ってきた。12時間も悪名高いユナイテッド航空の機内に閉じ込められれば機内食の匂いが染みつくのもしょうがないだろう。
とにかく、このヴィンセント・ギャロのおかげでアメリカという国があまり好きではなくなった。結局飛行機を降りてから、次の飛行機のロビーに着くまで2時間近く掛かった。
ヒューストンと言えばNASAの研究所があることで有名である。空港の中の売店でもNASAのグッズがたくさん置かれていた。NASAとデカデカと書かれたキャップやTシャツなんかが置かれていたが、アメリカの洗礼にうんざりしていた僕は何一つ欲しいとは思えなかった。ドルに換金するのも厭われたので、アメリカでは一銭も使っていない。ひどくコーヒーを飲みたい気分だったけれど、その金を使うことさえ嫌だった。
アメリカからメキシコまではおよそ3時間ほどだった。飛行機の窓から見えたメキシコの風景は、日本やアメリカとも全く違った街の様子だった。カラフルで背の低い建物が並ぶ風景を見て、ああ本当に違う国に来たのだと実感したのだった。
メキシコの入国審査では太った監査官が口笛を吹いていて(!)、僕の顔をちらりと見ただけでパスポートに判を押し、それでおしまいだった。アメリカとは全く違う。それだけで、少なくともアメリカよりもメキシコのほうが好きになった。
長いフライトで僕の疲労は極限まで達していて、発熱さえしていた。メキシコシティ国際空港で食事を取ったが、ほとんど喉に通らなかった。
研究を行う場所はメキシコシティからは離れた場所だったが、到着時間も遅かったため、その日は空港に隣接されたホテルで一泊することになった。
「ここが今回の旅で一番上等なホテルだ」と教授は言った。確かに内装は豪華だしベッドはキングサイズだったが、スリッパもドライヤーも無く時計は壊れていて、トイレは紙を流して良いのかよくわからなかった。こんな貧弱なアメニティのホテルが一番上等だとしたら、これから一体どんな宿に泊まるのだろうと暗澹たる気持ちになった。
メキシコシティの街並みはアメリカとさほど変わらないけれど、下水インフラに関しては未発達で、紙を流せるトイレと流せないトイレがある。だいたいの場所は流せないのだが、このホテルはそれが判別できなかった。一応トイレにゴミ箱が設置されているのだけれど、使用したトイレットペーパーを捨てるには小さすぎるように思える。とにかく考えることさえも億劫だったので、紙を流してみたが、詰まらなかったようなのでそのままにしておいた。
倒れこむようにして、その日は眠った。