惑星間不定期通信

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メキシコ旅行記 二日目「ピラミッドと銃声の街」

 

 メキシコに到着した翌日の朝、共同で研究を行うメキシコ国立自治大学のメンバーが迎えに来た。チームのボスである教授のホセと、主な作業担当のアレハンドロ、大学院生で僕らの世話人を担当するエルネストの三人である。


 彼らは大きめのSRV車に乗ってやってきたのだが、僕らのスーツケースと六人の人間は明らかに積載量オーバーであった。おまけにメキシコのメンバーは全員恰幅が良かった。メキシコは肥満大国として有名で、皆控えめに言ってかなり体格が良く、控えめに言わなければデブと言って良い体型である。メキシコには痩せている人間は子供か病人しかいないのだ。

 とにかくスペースがなかったので、車の前列に三人座らなければならなかった。運転席と助手席の間に一人座るのである。もちろんそんな場所にシートベルトはない。日本では違法だと思う。そんな車が高速道路でもないのに時速100キロ以上で走るのだから生きた心地がしなかった。メキシコでは基本的にどんな車も猛スピードで走っている。映画の『スピード』でキアヌ・リーブスが乗り込んだハイウェイバスのように、一定速度を下回ったら爆発する爆弾が車体に取り付けられているのかもしれない。


 車を運転していたのはアレハンドロだった。アレハンドロはNASAのキャップを被っていた。ヒューストン空港で見たものと全く同じだった。まさかヒューストンで買ったのかと尋ねてみたが、アレハンドロは英語は分からないと首を横に振った。


 僕は当たり前のようにメキシコでは英語が通じると思っていたのだけれど、実際のところアレハンドロだけでなく街の人々はほとんど英語を話すことができなかった。メキシコ国立自治大学のメンバーはだいたい英語が通じるが、飲食店などでは英語なんて一切通じない。アメリカの隣の国なんだから英語が通じるだろうと勝手に思っていた自分を恥じた。僕自身だって你好と謝々くらいしか中国語が話せないではないか。

 

 メキシコ人の年齢というのは中々見た目では判別できないのだけれど、アレハンドロは四十代、大学院生のエルネストは二十代くらいだろう。それなりに歳の差があるだろうに、エルネストとアレハンドロは仲が良かった。彼らはスペイン語で会話をしていたが、おそらくタメ口で会話しているだろうと思われた(スペイン語にタメ口という概念はないだろうが)。


 教授のホセは五十歳は過ぎていた。学部長だか研究所の所長を務めるほど偉い人らしいが、威厳は感じさせない風貌をしていた。日本の理学研究のお偉いさんだって威厳なんて持ち合わせていない人間ばかりだが、どうやらそれはメキシコでも同じらしい。
 実験装置が置かれているのはプエブラ州のチョルーラという街だった。メキシコシティからチョルーラまではおよそ一時間半ほどだった。チョルーラに行くまでにメキシコシティダウンタウンを通ったが、どう見ても治安が良い街ではない。野良犬がゴミを漁っているし、手持ち無沙汰な男たちが道端にたむろしながらこちらを見てくるし、壁一面にはカラースプレーで落書きがされている。まるで『グランド・セフト・オート』のような街並みである。天気が良く無かったせいもあるのだろうけれど、まるで世紀末のような街に来てしまったと僕は後悔した。


 しかし、チョルーラについてみると、そこは案外というかなんというか綺麗な街であった。基本的には静かな田舎町で、街の中心には大きな教会と広場(セントロ)があり、街の外れにはメキシコ最大とも言われるピラミッド遺跡が存在する。休日には観光客も多く訪れ、広場を囲むようにしてレストランや土産物屋が並んでいる。

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街の中心に位置する大きな教会。

 日本で例えるならば犬山が近いだろうか(東海地区の人間にしか分からない例えですみません)。乏しい知識で無理やり関東の街を挙げるならば牛久がイメージに近いかもしれない。つまり、栄えているわけではないのだけれど、観光名所があるおかげでホテルやレストランが街の規模のわりに充実しているのだ。

 

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丘の上から見下ろしたチョルーラの街並み。

 メキシコ最大のピラミッド、と言っても遺跡が現存している部分は少なく、ほとんどはただの小高い山にしか見えない。わざわざ海外から観光に来る客は少なく、街で見かける外国人はアメリカ人くらいである。一ヶ月滞在して、結局僕たち以外のアジア人は一人も見かけなかった。観光客がさほど多くなくて静かな街なので、僕はチョルーラの街が気に入った。

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一ヶ月滞在したHotel Real de Naturales

 僕らが滞在したホテルは四つ星クラスで、コロニアル調の瀟洒な三階建の建物だった。一泊四千円くらいで、日本の基準からすれば格安だが、エルネストはその値段を聞いて顔を顰めた。「そりゃぼったくりだよ」とエルネストは言う。旅費は全て大学が出してくれているので、僕としては綺麗でまともな宿に泊まれるならばそれで良かったのだが。


 部屋はバストイレ別で、シングルルームは無いらしく、ベッドは部屋に二つあったが、僕と先輩と教授は別々の部屋に泊まった。一ヶ月も他人と相部屋をするのはぞっとしなかったので安堵した。

  無線LANは使えたが、ホテルにはスリッパもドライヤーも無かった。そういうアメニティはメキシコには期待してはいけないらしい。


 実験を行うのはチョルーラの街から車で二十分くらい離れたところにある大学の研究施設である。午前中に研究施設について、日本から持ってきた実験用具の積み下ろしなどを行ったが、僕は相変わらず体調が悪く隅っこのほうで蹲っていた。
 昼頃には街に戻ったのだが、ホテルに着いてすぐに眠ってしまい、起きたら午後八時になっていた。教授と先輩は夕食に出かけてしまったようだが、僕は一切食欲が湧かず、その日は朝食しか口にしなかった。


 あまりの体調の悪さに、一ヶ月も経たないうちに日本に強制送還されるのではないかと不安になったが、そうしたら早く日本に帰れるなとさえ思った。とにかく、メキシコに着いたばかりの僕はいろいろな意味でギリギリだった。


 午後8時に起きてから、結局次の日の朝までずっと起きていたのだけれど、午前0時になっても街がやたらと騒がしかった。何かが爆発するような音がひっきりなしに響いているのだ。


 昼間も同じような音がしたので、ホセにあれは何の音なのか尋ねたのだが
「あれは花火の音さ。メキシコ人は花火が大好きなんだ」
 としか教えてくれなかった。
 ただの平日に花火を打ち鳴らす道理も分からないし、真夜中に花火を打ち上げるのも意味が分からない。空に花火が上がっている様子も無かったし、あれはもしかして銃声なのではないかと思う。
 とにかく、文化の違いに打ちのめされる一方であった。