惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 八日目「ピラミッドの血塗られた歴史」

 

 日曜日である。今日も研究は休み。朝五時に起床。ようやくまともな時間(?)に目を覚ますことができた。


 朝食はいつものカフェではなくホテルの近くにある別のカフェに行ってみた。そこでモレ・ポブラーノを食す。モレはソースの意、ポブラーノは『プエブラの』という意味を示し、その名の通りプエブラの名物料理である。

 モレ・ポブラーノは鶏胸肉をソースで煮込んだものなのだが、そのソースが特徴的で、チョコレートを使用しているのだ。

 見た目はまさにチョコレートのブラウン色で、他にもゴマ、アーモンド、トマト、トウガラシ、シナモン、クローブなどが入っている。チョコレートの甘さの中に、各種スパイスの風味が確かな存在感を示している。人によって好みが分かれるようで、僕はプエブラ料理の中では最も美味しいと思ったが、他の日本人メンバーたちはイマイチのようだ。とにかくプエブラに来たら食べる価値のある一品なのは間違いない。なんとなく甘辛い味付けは名古屋料理の味に似てなくもない。

 

 いつものカフェと違う店に来たが、コーヒーの味はやはり薄い。メキシコのコーヒーは薄いのだろうか? メキシコだがアメリカン・コーヒーというのはこれ如何に。ちなみにアメリカン・コーヒーは和製英語なのでアメリカには存在しません。ご注意を。
 研究所には行かなかったが、金曜日の実験が上手く進まなかったのでホテルでプログラムを書き直すことにした。十時くらいまでプログラムを修正し、昼まで仮眠を取った。仮眠後はきちんと昼に目を覚ますことが出来た。生活リズムがまともになってきて嬉しい。


 昼飯はタコス屋へ行く。広場から少し外れた通りにある店で、コンクリートの壁に囲まれた中庭に案内された。ここで食べたタコスは日本で食べるものに近い代物だった。ふつうトルティーヤは生の柔らかいままで食べられることが一般的だけど、この店では鉄板で焼かれていて香ばしくパリッとした食感になっている。中に包むのはTボーンステーキと焼いた葉玉ねぎである。これに、これでもかというくらいのサルサをかけて食べる。トルティーヤに巻くのに骨付きの肉なのはどうかと思うが、味は美味しい。日本で想像されるようないかにもなメキシコ料理である。どんな料理にもサルサを掛けることに抵抗がなくなりつつある。確実に味覚がメキシコナイズされている。


 昼食後はプエブラの中心地へ行こうと国道沿いのバス乗り場へ向かった。五分おきくらいで次々とバスが来るが、どれに乗ればプエブラの方角へ行くのか分からない。バスの正面に行き先が表示されているのだが、プエブラと書いてあっても他の場所が併記されていて最終的な目的地が分からない。

 ええいままよ、と死語を唱えてバスに乗り込んだものの、明らかに違う方角へ向かい始めたので慌てて降りた。もしかしたら最終的にはプエブラにたどり着けるかもしれないが、とんでもない場所で降ろされたら帰ることもままならない。

 良い大人なのだから知らない場所で降ろされたって大丈夫だろう、と思われるかもしれないけれど、もし治安の良くない場所に着いてしまったら命に関わる問題である。ちょっと街の中心から外れると、誇張でなく空気が変わるのだ。家々の見た目や街を歩く男たちの表情が街の中心のそれとは明らかに異なっている。ひりひりとした雰囲気が肌から伝わってくるのだ。


 そんなわけでこの日にプエブラの街に行くのは諦めた。エルネストにどのバスに乗れば良いのか訊いてからでも遅くないだろう。

 バスで降ろされた街の外れからホテルに戻るまで結構掛かってしまい、ホテルに戻ったのは午後三時だった。まだ陽は高いのでピラミッドに行くことにした。


 チョルーラの街と言えばピラミッドである。といってもほとんど現存しておらず、小高い丘の裾野にその名残がある限りである。丘の頂上にはスペインの征服者によって建立されたレメディオス教会がある。チョルーラの街のどこからでも教会の姿を見ることができる。レメディオスといえば『百年の孤独』のベッドシーツと一緒に風に吹かれて天に召された少女と同じ名だが関係はない。


 チョルーラのピラミッドには血塗られた歴史がある。

 スペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスはメキシコの先住民族たちのアステカ文明を征服した。コルテスの功績を記した書物の中にはチョルーラの名前が必ず出てくる。

 コルテスはアステカ文明を征服する過程でチョルーラに住む先住民族を三千人以上虐殺した。

 当時のチョルーラの人口が三万人ほどだというから、1割以上の人間殺したということになる。チョルーラの先住民族はスペイン人に対し無抵抗であり、ただただ一方的に命を奪われた。

 コルテスはアステカ文明に対して全く理解を示さなかったという。むしろ忌むべきものとして軽蔑してさえいた。彼はアステカ文明を破壊し尽くし、チョルーラのピラミッドも破壊した。コルテスはスペインでは紙幣になるほどの英雄だけれど、彼がこの街を血で染めたこともまた事実である。

 コルテスはアステカ文明を軽蔑していたが、同時にまた恐れてもいた。このチョルーラの街にたくさんの教会があるのは、アステカの神々を鎮めるためだと言われている。

 この小さい街も壮大な世界史の一部に織り込まれているのだ。

 

 ピラミッドの跡地の丘の高さはそれなりにあって、坂を登り終えて教会にたどり着いたときには息が少し切れてしまった。そうでなくてもこの街は標高が高く空気が薄い。頂上からはチョルーラの街が一望できる。カラフルに彩られた家々を上から眺めるのは中々に壮観だ。

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ピラミッドの跡地にそびえ立つレメディオス教会。観光客が列をなして登っている。

 丘の上に立つ教会はこれまでに行った教会とは明らかに雰囲気が異なっていた。あの呪術的な土着の匂いがないのだ。内部には金装飾が施されているものの、その意匠は西洋式に限りなく近い。

 冷静に考えればそれは当たり前のことかもしれない。アステカ文明を滅ぼしたスペインが、自国の征服を示すために立てているのだから。そういう意味ではこの教会は街の生活とは切り離されているのだ。中にいるのは観光客ばかりで、アメリカ人と思われる白人が多い。僕もまた観光に来た外国人の一人なのだ。アジア人は僕以外いなかったけれど。

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メディオス教会の正面入口。整っていて文明的な印象を受ける。

 丘を下りて遺跡の方へ回るとそれらしい入り口があったので通ろうとしたらところ警備員に呼び止められた。
「そこから入るのではなくて、あっちから入ってくれ」

 警備員は英語でそう言った。

 街の人間から英語で話しかけられたのは初めてだったので、なぜか感動に近い気持ちを抱いてしまった。この一週間、研究メンバー以外のメキシコ人と英語で会話していないのだ(ホテルのコンシェルジュは除く)。コミュニケーションに飢えている自分に気付く。警備員ともっと会話したかったが忙しそうだったのでその場を去った。

 遺跡はとても素晴らしかった。入植時にスペイン人に破壊されてしまったので、ごくごく一部しか残っていなかったけれど、それでも感動を覚える。ピラミッドというとエジプトのピラミッドを想像するけれど、こちらは火山岩を加工して作られているため見た目の印象が大きく違う。墓というよりは神殿のイメージに近い。階段の前には白く滑らかな岩で作られた石碑があり、その横には直径1メートルほどの球形をした石像が置かれていた。石像には顔が彫られていて、まるでダルマのようである。石碑は「ワンダと巨像」のセーブポイントを彷彿とさせた(ゲーム脳ですみません)。

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何の意匠かわからない石像。虚ろな目でこちらを見つめているようにも思える。

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跪いて祈ればセーブできそうな石碑。

 ピラミッドの一部は修復されており実際に登ることができるのだが、とても急な角度だったので降りる時が怖かった。この修復された階段は、あまりにも人工的すぎる(現代的に修復されすぎている)と地元民からは不評のようである。名古屋城だって中にエレベータがあるくらいだし、僕なんかはまぁそんなものじゃないのと思ってしまうのだけど。

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修復されたピラミッドの階段。手すりもなく、怪我人が続出しそうな勾配である。

 それにしても、ひとつの文明が滅ぼされて、その宗教的シンボルの上に侵略者の宗教施設が据えられているというのは、人類の侵略史の縮図ではないかと思う。

 ホテルに戻っても、窓から見えるピラミッドの上の教会を眺め、そんな世界の歴史に思いを馳せた。