惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 七日目「ふたつの教会とチョコチップクッキー」

 

 土曜日である。

 朝までオースターを読んでいて腹が減っていたので、朝食は普通に食べることが出来た。いつものカフェではなく、ホテルのレストランで朝食をとることにする。トルティーヤをトマトソースでくたくたになるまで煮込み、その上に焼いた牛肉を乗せた料理を食す。美味しいが、いつものカフェよりは値段が高い。

 

 休日ということで研究はお休みである。これまでは日中教授と先輩と一緒に行動していたが、各自自由に過ごすことになる。チョルーラの街の近辺を散歩することにする。

 まずは街のカテドラルへと足を運んだ。前に行ったサン・ペドロ教会ほどではないにせよ、こちらもかなり大きい。中に入るとサン・ペドロ教会よりも天井が高く、印象としては広く感じる。装飾も綺麗である。早朝の教会には誰もいなかったので写真を撮っていたら、地元の中年男性が自転車で教会の建物の中に入ってきて驚いた。

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街の大聖堂の内部。繊細な装飾が施されている。

 教会のマナーというのはよくわからないのだが、礼拝の時間以外なら自由に出入りしても良いようだ(勿論、不必要に騒がしくしないというのは最低限の常識であるが)。

 いつもホテルから広場の方にしか行かないので、裏手の方へと回ってみることにした。2ブロックほど歩くと車の通りが多い国道に出る。目の前を過ぎていく車の速度が速すぎるせいか、車道の幅が広く感じる。その国道を黄色いバスが頻繁に通っていく。どうやらあのバスに乗ればプエブラの中心地に行くことができるらしい。とはいえ本当にそうなのか分からないので今は乗らないでおく。

 

 昼食は一旦教授たちと合流し、広場の一角にある中華料理屋に行くことにした。
 メキシコに一週間もいると、そろそろメキシコ料理の味に飽きてくる。海外に長期滞在した人は、日本食の味が恋しくなるよと口を揃えて言う。そんなものかと僕もインスタントの味噌汁を持ち込んでいたが、お湯が沸かせないので結局食べなかった。
 日本食が恋しくなったわけではないけれど、メキシコ料理の味付けにたいして退屈はしていた。メキシコに着いてしばらくはまともに食べられなかった僕がそうなのだから、教授や先輩はなおさらだろう。

 メキシコ料理は世界の料理の中でもバリエーションが豊富だけれど、この街ではだいたいがサルサかトマトソースの味のものばかりなので、そろそろ別の味付けの料理が食べたくなった。そんなわけで中華料理屋を訪れたのである。

 中華料理屋は広場の目立たない場所にあり、外から見ても薄暗かった。美味しい料理が出てくるような店構えではないな、と直感する。そもそも観光地のど真ん中に中華料理屋があっても、地元の人間しか行こうと思わないだろう。たとえば、北海道でイタリアンを食べる観光客がいるだろうか?

 ビッフェ形式で好きな料理を皿に乗せ、会計をするスタイルだった。店員はアジア系ではなくメキシコ人である。

 僕は焼きそば(のようなもの)と野菜炒め(と思われるもの)と肉じゃが(に近しいもの)を食べた。味についての詳細な言及は避けたい。

 決して不味くはない。ただ、日本でこの味の料理を出すのは許されないだろうなというレベルである。しかし、メキシコ料理ではない味が食べたかった我々としてはそれなりに満足した。

 

 昼食を食べた後は再び解散し、自由に行動することになった。

 いつも研究所に行くときに使っているバスに乗ってトナンツィントラの方へと行ってみることにした。

 トナンツィントラは研究所の先にある観光地であり、小さいが一応『地球の歩き方』にも紹介されている。トナンツィントラ自体は街の中心から外れているのだが、トナンツィントラにはサンタマリア・トナンツィントラとサンフランシスコ・アカテペックという有名な教会がふたつある。

 まずはサンタマリア・トナンツィントラへ。正面の壁はブラウンに白のドットが打たれており、サイドはクリーム色に塗られている。まるでレゴブロックで出来たおもちゃの教会のようである。

 この教会の見どころは内部の装飾である。蔦やカカオなどの農作物をモチーフとした細密な金装飾の彫刻が壁一面だけでなく天井に至るまで、教会の内面を覆い尽くしている。荘厳とかそういう言葉よりも、なにかの生き物の内部を想起してしまう。よく見ると植物だけでなく人の顔も無数に彫られており、不気味ささえ覚えてしまう。先住民族たちの土着的な美意識が現れたものらしいのだが、ヨーロッパ的な美術とは一線を画していて、こう言ってしまうと不適切かもしれないがある種呪術的とも思えるような妖しさを感じてしまう。

 この内部装飾は二百人もの先住民族の職人たちが2世紀という年月を費やして作り上げたものだという。呪術的というよりは執念じみているのかもしれない。いずれにせよ、じっと見ていると飲み込まれるような眩暈を覚えるような空間である。

 もうひとつのサンフランシスコ・アカテペックは、サンタマリア・トナンツィントラとは対照的な意匠をしている。サンタマリア・トナンツィントラは外見はシンプルで内部が緻密だったが、サンフランシスコ・アカテペックは外面が特徴的である。壁一面に目にも鮮やかなカラフルなタイルで緻密な紋様が描かれている。その色使いを見ているだけで楽しい。装飾への執念で言えばこちらも決して負けてはいないだろう。内部も一応金装飾が施されているが、天井部分のみに留まっている。なんとなく節度があって僕としてはこちらのほうが好きだった。

 休みの日だったからか、教会の中では神父様による説教が行われていた。どうすればいいのか分からなかったのでそのまま席に座って内部装飾を眺めていたのだが、途中で席を立って良いのかどうかも分からなかった。隣に座っていた欧米人が席を立ったので、便乗して外へ出たのだが、異宗教施設を見学するときの勝手というのは難しい。観光地化されているから、向こうも割り切っているのかもしれないけれど。

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トナンツィントラの路地。観光名所の教会以外は寂れた田舎町である。なぜか教会の写真を一枚も撮っていなかったので、気になる方はトナンツィントラで検索してください。

 一通り見て、バスに乗ってホテルに帰ってくると疲れて眠ってしまい、また夕食を食べ逃してしまった。コンビニで買ったチョコチップクッキーを齧って飢えを凌ぐ。このクッキーの味はミスターイトウのチョコチップクッキーと全く同じです。だからどうしたってことではないのだけれど、そういうどうでも良いことが意外と後になって記憶に残っていたりする。