惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

:Fractale:Fragment

 意味の無い音の集合が音楽になる、そんな光景が世界に溢れ過ぎている。

 古い家の雨漏りを鉄瓶で受け止めてみる。雨音が反響し音が鳴る。さらにその鉄瓶を棒で叩いてみよう。鉄瓶に入った雨水の量だけ音程が変るだろう。僕らはその音色に下品な笑い声を上げて嬉々として打ち鳴らし、さらには無慈悲な雨音の反響も加わるだろう。
 全ては意図しない音の羅列。耳を残響するのは雑音の群。
 それを音楽と呼称するのは聴き手の自由だ。

 

 ぼくたちは傲慢にも音を奏でそれを音楽と呼び挙句の果てには無音さえも音楽と呼んだ。
 きみはもう唄いたくないといい、ぼくはもう唄なんて聴きたくないという。
 ぼくはきみの唇を見つめ、きみは目の前の楽譜を見つめる。音が無ければ意味も無いという点でどちらも似ている。唇はただただ滑稽に動く器官でしかなく、楽譜はおたまじゃくしの遊泳と化す。
 沈黙。向かい合って真面目な顔して、ほんとうは腹の底で可笑しさを堪えきれない。
 あるいは、ぼくらは互いに耳を塞ぎ、その姿を笑い合っているだけかもしれない。
 ぼくの声はつまりきみの鼓膜を揺らす振動で、きみの声もつまりぼくの鼓膜を揺らす振動だ。ぼくたちは何を信じればいい? きみが奏でる音楽なのか、それともぼくが聞いたノイズか。
 ぼくたちは生れてから歌が聞こえる方へと歩いてきた。導かれるように、あるいは自らを偽る様にして。けれど欺瞞に耐えきれなくなった時、どうしようもなく暗い世界が足下に広がっていることに気付いてしまった。足音すらも響かないその地平でぼくはなに信じればいいのだろう。
 両手を叩きつけた鍵盤は悲鳴のような音を上げた。
「ぼくたちは音楽が無ければ生きられないのかもしれない」とぼくは言う。
「なら死んでしまうのも一案かもしれない」ときみは返す。
 繰り返された問答。酷く滑稽な遊戯。生まれてから死ぬまで同形反復するぼくらの幸福。ぼくたちは極めて動物的に同じ動作を何遍も繰り返す。確かめても確かめられない確信。
「なんだって人は自傷を繰り返すのだろう。結果はおろか過程すらも伴われないのに」
 ぼくはマフラーみたいに巻き付けたガーゼを解きながらきみに訊く。
「猿は手淫を覚えると、死ぬまでそれを繰り返す。それと同じだよ。音楽もね」ときみは笑う。
 なにが同じなのかとぼくは問い質す。きみはただはぐらかしたような笑みを浮かべる。
「楽器演奏は性行為に結び付けられる事が多い。馬鹿馬鹿しい。手を使えばなんでも愛撫しているように見えるとでもいうの?」ぼくは苛立つ。
「セックスと音楽の話は止めよう」ときみは制した。「でもさぁ、セックスと音楽と暴力の話を止めたら、わたしたちに何の話ができる?」
「別に、なんだってできるさ」
「どうだろうね」きみは苦笑する。

 

 無秩序な音の群はやがていつの間にか秩序を形成していく。断片化された無秩序の秩序。ポケットに入れたイヤフォンが絡まるように、放り投げたパズルのピースが偶然に組み上がるように。それらは歪にも秩序を組み替えていく。それを美しいというのか無責任というか、その自由はぼくらに委ねられている。
 握り締めた手の中には音が満ちている。音符でもなく言葉でもなく情報でもなく、ただただ音でしかない音。ぼくたちが手を繋げば、それはきっと音楽になる。
 耳を澄ませば何か聞こえるだろうか。何も聞こえないだろう。それはきっと調音できていないせいだろう。空気はいつだって震えている。
 
 そしてぼくたちは未来の話をすることにした。
 けれどそんなの出来る訳がない。ぼくたちには未来すら剥奪されていた。何しろぼくたちには福音ってやつも聞こえないんだから。
 「さよなら」と「また明日」を繰り返して、ぼくたちの未来は過ぎていく。けれど明日になったらきみにはもう二度と逢えないかもしれない。きっと逢えないんだろう。それでもぼくたちは躊躇わずに手を離さなきゃいけない。
 馬鹿みたいに大きなリュックサックに何もかも詰め込んで、そのくせ何ひとつ役に立つものなんか無くて、背負った重さによろけそうになる。バケツをひっくり返したみたいな土砂降りの雨がぼくらを祝福する。
「さよなら」とぼくが言い、
「また明日」ときみが言った。
 なんだかおかしくなってぼくらは大声で笑った。
 響き渡る、ぼくらの笑い声と心臓の鼓動。音でもなく言葉でもなく情報でもなく繋いだ手のひらの体温でもない、ぼくらに残された最後の音楽。福音なんて聞こえなくたって、そのふたつさえあれば不安なんて無い。
 無限に開かれていた音が有限に組み合わさって音楽になる。無限の波形はやがて収斂し再び手に還ってくる。幾度と無く繰り返し、そして二度と再現できないぼくらの遊戯。


 それを希望だと、あるいはぼくらの未来だと呼ぶことも、ぼくたちの自由だ。

 

 

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「わたしの庭の惑星」収録