惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

「わたしの庭の惑星」試し読み

 

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 私の庭に浮かぶ巨大な球体。勿論、それは突如として上空から降ってきたわけでも風に吹かれて何処かから転がってきたわけでもない。もはや仰がねば全貌を視界に捉えることができないその物体を、私たちは惑星と呼んでいる。


「初めに種を植えました。数日後小さな芽が生えてきました。乳白色の芽の先端に丸い球が付いていて、最初それは葉が丸まっているのだろうと思いました。しかし球は広がることなく球のまま巨大化していきました」

 その一連の不可解な現象について彼女はそのように説明する。

「一ヶ月で惑星はわたしの背丈よりも大きくなり、すぐに家の屋根をも越してしまいました。どれだけ巨大化しても自重を持たないかのように、芽に繋がれたままこうして空に浮かんでいます」

「ちょっと待ってほしい。そもそもが種子から生えてきたというのなら、どうして君はあの物体を惑星などと呼び始めたんだ?」

 そんなくだらない質問が飛んでくるとは思わなかったというように、彼女は薄く口の端を持ち上げてみせる。

「名称に意味はありません。確かにあれは植物なのかもしれませんが、光合成をして大きくなっているとは到底思えないでしょう。謎の物体であるにしても、等速度で地球の周囲を公転していると考えるならばむしろ衛星と呼んだほうが正しいのかもしれません。ですが、わたしはあの物体が現在のままで留まっているとは思えないのです」
「君はあれが巨大化した先に何が待ち受けていると考えている?」

 この質問に対し、彼女は冷笑を消した。

「あれが何であれ、誰かの目に触れることは何か恐ろしい事態を招くのではないかと恐れています。不思議なことに他人には認識することができないようです。これまでに、いくら巨大化していこうとも誰かに気付かれることはありませんでした」
「じゃあ君の不安は杞憂だという訳だ。誰も見えないなら気付かれることも無い」
「でもあなたには見えているのでしょう?」

 首肯する。確かにそうだ。

「今はわたしとあなたにしか見えていませんが、いずれ他の人々もこの惑星に気付くでしょう。そのときのことを考えると、わたしは恐ろしくてたまらないのです」
「もしも全ての人たちにこれが見えるようになったら一体何が起こるのだろう?」

 私の問いに、彼女はゆるゆると首を横に振った。私はため息を吐く。結局我々には待つことしかできないのだ。

 惑星は今日も大きくなり続けている。

 その果てに何が待ち受けているのか、私たちは未だ知らない。
 
 その女に出逢ったのは、私が大学を卒業し教師としてその街に赴任した初めての秋だった。土地勘の無さから辺鄙な場所に居を構えてしまい、早朝の始発のバスに乗って通勤していたのだが、私の次に乗り込んでくる乗客が彼女だった。次に人が乗り込んでくるのは街が栄え始める先ことで、三十分ほどの時間を私たちは二人で過ごさねばならなかった。彼女がそのバスを利用するようになったのはその年の夏頃からのことで、一番後ろの席を陣取る私の斜め前にいつも座るようにしていた。年齢はおそらく私よりも幾らか上かといったところだが、油気のない髪が草臥れた印象を強くしている。初めに彼女を奇妙に思ったのは夏だというのに長袖の服と手袋を身に付けていたことと、傍目にも明らかに日に日に顔色が悪くなっていたことだった。

 素肌を隠すような服装をしていたのは何かの怪我や発疹をしていたからなのかもしれず、或いは単に宗教的もしくは職業的に肌を守らなければならない理由があるのかもしれない。前者の理由から、彼女は何か病気を抱えていて、顔色の悪さもそれによるものだと考える事も出来るだろう。いくら妙齢の異性だとして、そして奇妙な点をいくつか抱えていたとしても、単に毎朝乗り合わせるだけの縁を温めようと思う程私は厚顔でもなく、特に関わりも無く日は過ぎていた。

 ある日、彼女がいつも降りる停車場に近付いても停車ベルを鳴らそうとしなかった。運転手もその停車場に停まるのが半ば習慣のようになっている故に一向に停車ベルが鳴らないことを訝しみ、駅名を殊更大きな声で呼び掛けるものの、彼女は動かなかった。

 眠ってしまったのではないかと私が顔を覗き込むと、彼女は眠るどころか目を見開いて窓に張り付くようにして外を見つめていた。その異様さに大丈夫かと私が声を掛けると、はっとしたように振り向き「あなたにはあれが見えますか?」と彼女は遠くの一点を指差して訊ねた。

 その方向を見遣ると、そこには街を飲み込むような巨大な球体が浮かんでいた。

 あの大きさならすぐに気付いていたはずだろう、なのに私は彼女に言われるまでそれに気付かなかった。巨大な球体は朝日の光を遮り街に影を落としている。球が巨大ならばその影はさらに巨大で、もはやその巨大物体の一部を形成しているという意味で影の巨大さは球をさらに大きく見せていた。街を飲み込むような、というように形容したが、影を球の一部だとすると文字通りに街は球に飲み込まれていた。
「なんですか、あれは」

 我ながら馬鹿な質問だ。あれは何かと訊ねて、何か納得できるような回答が得られるわけが無い。
 とはいえ、彼女の回答も私の想像なぞ及びもつかないほど馬鹿馬鹿しいものだったのだが。

「わたしの庭の惑星です」と彼女は言った。
 大体このようにして私は惑星に出逢った。

 

 

.................続きは書籍にて。

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