惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

エッセイ、ごまだれ、ロックンロール

 

大槻ケンヂの読みだおれ―大槻ケンヂのお蔵出し〈PART2〉

大槻ケンヂの読みだおれ―大槻ケンヂのお蔵出し〈PART2〉

 

 

 

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

 

 小説を読む気力がなかったので立て続けにエッセイを二冊読んだ。昔からエッセイを読むのは好きだった。子どもの頃はさくらももこのエッセイを読んで腹を抱えて笑い転げていたし、ネットの黎明期に流行っていた日記サイトをひたすら巡っていたりした。

大槻ケンヂのエッセイを読んだのは大学生になってからだと思うけれど、あのケレン味のある文章がとても好きだ。笑えるし、そして泣ける。あと、エッセイストとして外せないのは坂本真綾さん。歌手としても声優としても女優としても勿論大好きですが、なによりも真綾さんの書く文章が好きです。彼女のエッセイは瑞々しくて、ほっとするようなユーモアがあり、そしてなにより心の強さが描かれています。必読。

というわけで、エッセイを連続で読んだせいでエッセイでも書いてみようかと思った次第です。影響されやすい人間なので。しかしながら、エッセイを書いてみようと思ってもそんな面白い出来事なんてそうそうあるもんじゃないんですね。毎日会社に行って夜遅くまで働いて帰るだけの生活に特筆すべき点はないのではないか……と考えたところではたと気づきました。よくよく思い返してみれば、僕の好きなエッセイストたちもそんなに面白い日常を送ってるわけではないのではないかと。

もちろん彼らはいわゆる一般的なサラリーマンではないのだから、多少は興味深い生活を送っているかもしれないけれど、だからといって抱腹絶倒の出来事なんて起こりません。過去の面白い出来事を振り返るにしても、いつかはネタ切れが来る訳で、書き方を巧妙に変えるにしても小手先の文章力でごまかすにも限界があります。

なのに、彼らはどうして何冊も面白いエッセイが書けるのか。

それはひとえに、日常を観察する眼が優れているからです。

多分、僕らが普通に送っている日常にも面白い出来事は隠れているはずで、それをどれだけ見つけ出し、掘り下げる事が出来るのか。新しい観点から切り取る事が出来るか。エッセイストに必要な才能とはそれだと思います。海外旅行で世界中を飛び回ったり、びっくりするような波乱万丈な人生を送っている人間の体験談が全く面白くないことがありますが、それもやはり本人がいかに日々を切り取る事が出来るかということなのだと思います。何を見るか、何を体験するかではなく、それらを通して何を考えるか。つまらない旅人の本よりも、ぶっ飛んでる引きこもりの本の方が面白いのです。ごくごく普通の日常生活を送っていても面白いエッセイは書ける。じゃあ書いてみろ、と言われても出来ませんが。

と、ここまで書いてみてふと気付くのは、「面白いことをやってる人間」は別に「面白い」わけではないのだなあということです。例えば、少し前にブームになったYouTuberたちなんかそうなのではないか。彼らはバスタブいっぱいのコーラ風呂に入ったり、奇抜なことをやって面白がられているけれど、別に彼ら自身が面白いわけではないですよね。本当に面白い人間ならば、わざわざそんなことをしなくても視聴者数を稼げる訳で、つまらない人間だからこそ奇抜なことをして目立つしか無い。確かにそれは物珍しいものかもしれないけれど、だからといって面白くも愉快でもないのです。メディアで取り上げられるYouTuberに対して興味が持てなかったのはそういうことなんだと思いました。

ネット配信で奇抜な事をして(渋谷のど真ん中でアカペラで自作曲を歌って警察と喧嘩したりしてました)人目を引きつけていた神聖かまってちゃんのギターボーカルの「の子」が、ある日の配信で奇声を上げながら頭からごまだれをぶっ掛けていたことがありました。それ自体はまあよくあるいつもの奇行なのですが(それもどうかと思うが)、その場にやってきたの子の父親が、ごまだれまみれの息子を見て、吐き捨てるように

「ワンパターンだな」

と一言。

ごまだれを被ったことなんかよりも、その一言のほうがよっぽど面白いと僕は思うのですがどうでしょうか。息子がごまだれまみれになることに驚きを感じないような日常なんて、の子本人よりもロックンロールなのではないか。

 

そんな神聖かまってちゃんのベストアルバムは現在好評発売中です。