惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 五日目「メキシコについて僕らが抱くイメージ」

 

 メキシコに対して抱くイメージと言えば麻薬とそれを取り仕切るマフィアの存在が大きいだろう。警察がマフィアに乗っ取られただとか、マフィアが軍よりもはるかに高性能な重火器を備えているだとか、見せしめに惨殺死体が道端に転がっていただとか、そういった話を日本にいるときによく聞いていたので、メキシコというのはよっぽど治安が悪いのだろうと思っていた。

 しかし、このチョルーラという街はとても平和である。明らかにそのスジの人間は見なかったし、夜中にジャージで出歩いても危険はなかった。

 危険なのはアメリカとの国境沿いの地方で、実際にマフィアが支配しているような街もあるという。
「メキシカンマフィアに比べたら日本のヤクザなんて赤ん坊みたいなものさ」
 とエルネストは言う。

 メキシコの麻薬抗争を描いた『ボーダ・ライン』という映画がある。メキシコ国境の最も危険な街フアレスへ異動になった新任のFBI捜査官の主人公は、着任早々に高速道路の高架に吊るし上げられた複数の死体を目にする。それは敵対する麻薬カルテルが見せしめのために行ったものだった。そしてそれは映画の中の誇張された出来事ではなく、同じような現実がこの国では日常として存在するのだ。

 

 エルネストは一度日本に来たことがあると話した。僕らの大学の研究室に短期留学のような形で来ていたという。研究室にいるコンさんという韓国人留学生の女の子は元気かとしきりに気にしていた。
「コンさんはとても可愛い」
 趣味でプロレスをやっているという厳つい男は少し顔を赤らめながら言う。

 メキシコのプロレスといえば、ルチャ・リブレのことである。日本の物理学科の学生は皆ひょろひょろの貧相な体をしている人間が多いけれど、エルネストはかなりがっちりとした肉体をしていて、いかにもレスラー然としている。そんな男が遠い島国の留学生の女の子のことを覚えているというのも、なんとなく微笑ましく思える。

 僕の組んだプログラムで実験装置を動かし、無事にデータを取得できることを確認した。僕がメキシコに来た責務はこれでほぼ果たせたと言って良い。余裕ができたので研究所内を散歩してみた。

 研究所の敷地は2、30分もあれば一周できるくらいの広さで、緑が多く静かなところである。いたるところに巨大な松の木が生えていて、僕の足の大きさと同じくらいの松ぼっくりが落ちている。そして背の高さよりも巨大なサボテンが生えている。

 

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研究所内は緑も多く石畳や刈り揃えられた芝生で整備されている。

 サボテンは研究所内に限らず街のいたるところに生えている。サボテンだけでなく、厳密にはサボテンではない多肉植物であるリュウゼツランと呼ばれるものが半数くらい生えている。メキシコではマゲイと呼ばれ、テキーラの原材料となる。見た目はアロエに近いが、はるかに肉厚である。

 僕がメキシコに対して抱いていたイメージは、前にも述べたようなマフィア以外には荒野にサボテンが生えている街並みを想像していた。街には確かにサボテンはたくさん生えているけれども、荒野ではなく道路はきちんと舗装されているし、トウモロコシ畑が点在して緑に満ちている。収穫されたトウモロコシは粉に轢かれ、トルティーヤの原料となるのだ。

 この日の作業は15時には終わって街へ帰ってきた。体調も良かったので街を散歩する。ホテルから街の広場へ出て、街で一番大きな教会へ行く。

 チョルーラは小さい街の中に三十を超える数の教会があるが、このサン・ペドロ教会は街の中心地に位置しており、規模も最も巨大である。メキシコの教会は、侵略者であるスペインの文化が先住民族の土着文化と混ざり合った独特なバロック様式をしている。サン・ペドロ教会の壁は鮮やかなオレンジ色で塗られており、広場の壁の色との調和が見事だ。

 壁に囲まれた教会の敷地に入ると、教会の建物は確かにそれなりに大きいけれど、敷地のほとんどは空き地になっていた。建物の入り口に案内板があり、「メキシコ最古の教会」と英語で書かれていた。

 教会の中に入ってみると、外面の大仰な見た目に対して、案外内装は簡素でがらんとしている。しかし、よく目を凝らすと細部に金装飾がなされているのが分かる。平日の夕方だったが聖書を片手に熱心に跪いている人もちらほらいる。隣の建物も礼拝堂になっているが、こちらは観光客向けといった感じで中にはキーホルダーやタペストリーなどを売る土産屋がある。

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チョルーラの中心にあるサン・ペドロ教会。どことなく古城を思わせる。

 一通り教会を見終えて外に出ると雨が降っていた。標高が高いせいか、この街ではよく通り雨が降る。降らない日のほうが珍しいくらいだ。少し雨宿りをしてから、コンビニ(チェーンの店ではなく個人経営のコンビニエンスストア)に寄って菓子パンを買って帰った。

 ホテルに帰って少し休んでいたら思っていたよりも長く眠ってしまい、また夕食を食べ損なってしまった。教授と先輩はいつも一緒に夕食を食べに行っているようだが、この街に着いてから一度も一緒に食べられていない。

 鏡をみるとひどく痩せてしまっていた。髭も伸び放題になっていてひどい顔をしている。髭剃りは持ってきたけれど、見た目がいかついほうが自衛になるかと思い剃らないでいたのだ。意味があったのか今もよくわからない。

 生きて帰れたから意味があったのだろう、たぶん。