惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

詩を書くことについて

詩合というイベントに初参加しました。その場で出されたお題に沿って即興で詩を書くというイベントです。5人くらいの出場者がいて、お客さんの投票によってお題ごとの優秀作が決まり、最後に全ての作品の最優秀作を選ぶというルールです。

とはいえ、賞レースではなく、あくまでも目的はより良い詩を書くというものなので、あまり硬くならずに参加することができました。それでも緊張しましたが。最優秀作は残念ながら逃しましたが、お題ごとの優秀作には3度ほど選ばれたので健闘できたかなと思います。僕は昔から文学関係で他人と関わり合ったことが少なく、文学フリマでそういった出会いみたいなのを初めて経験したのですが、この詩合というイベントも刺激的でエキサイティングな体験でした。

即興詩を書くというのはとにかく脳みそをフル回転して自分の中にある引き出しをひっかきまわして言葉を探すことになるのですが、追いつめられたときに人間の本性が出るというかなんというか、自分の引き出しの狭さ・少なさを痛感しました。アラサー女子ネタか社畜ネタか動物ネタか下ネタくらいしかないもんな。この日記の下の方に作った詩を載せておきます。

 

文章を書くのは好きで小説も書いていましたが、詩を書くことだけは昔から苦手で、いわゆる普通の詩というのも作らないし、中学生の頃にギターを始めて曲を作ったりもしていましたが歌詞を書くのはとにかく苦手でした(正確に言うならば書きたくなかった)。もともと僕は言葉を積み重ねることによる面白さみたいなのに興味があって、意味を読者に委ねがちな「詩」というのは範疇にありませんでした。しかし、萩原朔太郎の詩やその考え方に触れ、その考えを改めました。

 

詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

萩原朔太郎「月に吠える」序文より引用

私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なるここの感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。 

同上より引用

 

この序文を読んだ大学生の頃の僕は、以下のような日記を残しています。

なんていうか、僕が常々詩人や詩という芸術そのものに対して抱いていた不信感がこの序文で一瞬に払拭された。所詮綺麗事とか個人的な主観を、体裁の良い言葉で虚飾してるんだろ中身なんてないんだろ、もしくは煙に巻いて孤立した優越感に浸ってるだけなんだろ、という嫌悪をぶち壊しにしてくれた。というかそんなものは軽々と超越してる。

そうでなくても詩が持つ表面的な情報量は他の芸術に比べれば圧倒的に少ない。それ故に、傲慢な鑑賞者は都合のいいようにそれを『理解』し、勝手な占有意識を抱く。僕はそれがどうしようもなく我慢できない。受け手に対しても、それを許した表現者に対しても。

 

 

中略

 

萩原朔太郎はこの序文に於いて、自分の芸術が理解される対象を減らすために難解に走ることを忌避した。独自性と共通性の両義を表現することが自らの求める芸術なのだと宣言したのである。僕はここで諸手を挙げて賛同せざるを得ない。だからといって単純化・素朴化へと逃げるのではなく、真っ向からこの困難を実現していくのである。なんという強靭。なんという才気。詩人に抱いた不信感が詩人の手によって打ち消される。よもや、処女詩集の序文によってそれが為されるとは夢にも思っていなかった。

なんというかテンションの高さというか、文章の熱量というか、我ながら引いてしまいますが…。 よっぽど感動してたんでしょうね。

とにかくまあ、詩への向き合い方を見直した僕はその後萩原朔太郎を始め中原中也を読んだり穂村弘の短歌を読んだり、まぁその程度なんですが多少は詩を読むようになりました。その後、ふざけたバンドを組み脱力系の歌詞を書くようになって、歌詞を書く楽しさ面白さみたいなのがだんだんとわかってきたのですが、まさか詩を読むイベントに参加することになるとは夢にも思っていませんでした。

 

以下、作った詩です。ついでに昔作った歌詞も載せておきます。

 

■お題「ポップソング」

タイトル「過渡期」

 

レコードからCDへ
MDからiTuneへ
百年後の未来では
きっとシイタケとかシメジとか
そういうものを耳に突っ込む

 

僕は静かに耳を立て
君が立つキッチンの音を聴いている
僕の心のベストテン第一位は
たぶんそういう音楽だった

 後半部分はオザケンパクリオマージュですね。優秀賞受賞。

 

■お題「窓の外」

タイトル「都市伝説」

 

時速60kmで走る
車の窓から手を出すと
まるでおっぱいの感触らしい

 

そんなことを思い出した僕は
おもむろに手を伸ばす

 

暖かい春の午後
よく晴れた街の空気と
あの子のささやかな胸と
入りこんだ杉の花粉で
僕は、くしゃみをした

下ネタですね。緩急をつけてみました。

 

■お題「デッサン人形」

いろいろな角度から君を見てみたい
恥ずかしい格好をさせてみたい
だけど想像力が足りてない
そういうときに使います

もうほんと何も思いつきませんでした。タイトルも思いつかない。

 

■お題「くじら」

タイトル「トト」

 

トイレの中で泳いでる
おしりに向かって潮を吹く
トト<TOTO>と名付けた
ちいさな私のクジラさん

これが一番良くできたかなと思ったんですが、他の方の詩がとても良くて優秀賞は取れず。結局そのときの優秀賞作品が最優秀賞になりました。

 

 ■お題「都会」

ここはナゴヤ県ナゴヤシティ
トヨタと河村が支配する街

 

名古屋なんてつまんないよね
そう言って東京へ出たマリコ
子育てのために帰ってきた

 

「東京は都会でしたか?」
「名古屋は都会じゃないですか?」
大名古屋ビルヂングのスタバで
その言葉をフラペチーノといっしょに飲み込んだ

 このお題も何も思い浮かばず苦し紛れで手頃なテーマを選びました。意外にも優秀賞。

最後の文節は「つまらない街で育てた子どもは、つまらない子どもですか?」のほうがよかったなあと発表した後に思いました。

 

 ■お題「電気のない部屋」

タイトル「本音」


キャンプに行くのはいいけれど
スマホの充電どうするの?

 

タイトル「イマジン」

 

想像してごらん
もしも電気がなくなったら
プログラミングもできないよ

 

想像してごらん
もしも電気がなくなったら
上司のメールは返さなくていい

 

ありがとう原子力
ありがとう化石燃料

 

みなさんのおかげです

 2個作りましたが評価対象に選んだのはふたつめ。明らかなオマージュですが優秀賞受賞。

あんまりネタが思い浮かばず、社畜ネタに走る。

 

 

最後に歌詞を貼っておきます。スタジオで即興で歌った歌詞です。だからある意味本当の即興詩なのかもしれない。一切書き直しもしていないし。

おかしいなあ、萩原朔太郎に感動した人間がこんな詩を書くかな?

マンボウ
おまえマンボウ
まるでマンボウ
そしてマンボウ

 

マンボウ
まるでマンボウ
おまえマンボウ
赤ん坊が笑ってるよ

 

マンボウの赤ん坊が
たくさん今年も生まれました
わたしの家の水槽は
すごくいっぱい何かが浮いてます

 

マンボウ
それはマンボウ

 

お父さんもマンボウ
お母さんもマンボウ
マンボウ
そしてマンボウ
おれはマンボウ
君はマンボウ

 

聞こえるかこのマンボウの声
聞こえるか叫び声、マンボウ
マンボウ、おまえマンボウ
生きてりゃマンボウ食べることだってあるよ

 

上手く歩けない
だってマンボウ
わたしマンボウ
空は飛べないよ
だってマンボウ
わたしマンボウ
マンボウ

 

歩けない
空も飛べない
泳げない
出来損ないのあたしだからこそ
歌うわ マンボウの唄を
何も出来ないわたしの
マンボウとしてのプライドだから

 

マンボウ
そしてマンボウ
レインボー
空に架かるレインボー
DING DONG
DING DONG
カツ丼…
マンボウ
マンボウ
マンボウ

 

マンボウマンボウマンボウマンボウマンボウ
マンボウ
yeah

 

君は知ってるかい
スーパーで売ってるマグロの肉は
実はマンボウ
それはマンボウ
食品名偽装の闇