惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

長編小説の書き方(反省と備忘)

先日、長編小説を書き上げました。

文字数は約95000字、原稿用紙換算で285枚です。これまで僕が書いた単一の作品としては最長になります。一般的にどれくらいの長さから短編・中編・長編に分かれるのか明確な基準があるわけでは無いですが、長編小説の新人賞では原稿用紙250枚か300枚以上という規定が多いので、今回書いたものは短めの長編小説に分類されるのではないでしょうか。

これまで僕が書いたもので一番長い小説は200枚程度で、それも連作短編という形でした。単一の長編はというと、何度もチャレンジして途中で挫折しており、最も長かったものでも120枚ほどでした。ひとによってはいくらでも長い小説が書ける、むしろ長すぎていつまでも終わらせられないというケースもあるようですが、僕の場合は長い物語を作れないことが長年の悩みでありコンプレックスでした。

小説を書き始めた高校生の頃は原稿用紙10枚のショートショートを作るのが精一杯でしたが、大学〜社会人を経て70~80枚程度の短編小説は普通に書けるようになりました。なので長編が書けないのも時間が解決する問題かと思っていましたが、さすがに小説を書き始めて10年以上経過して「時間が解決してくれる」というのは甘すぎる考えだと思い、今回の長編小説を書くにあたっては徹底的に書き切ることを目標としました。

 

途中で書くのを挫折してしまう理由を考えてみると(少なくとも僕の場合は)大きく分けて3つありました。

  1. 話の展開が思いつかない
  2. 自分で書いているものが面白いと思えずモチベーションが保てなくなる
  3. 書くことに疲れる、飽きる、別のことをやりたくなる

また考えてみると、これらは独立した項目ではなく1→2→3の順番で発生していることに気づきました。このメカニズムを説明するためにはまず僕がこれまでどのように小説を書いていたかを説明しなければなりません。

 

僕はこれまでプロットというものをきちんとした形で練ってはいませんでした。主要な登場人物と大まかな話の流れは事前に書き出してはいましたが、断片的な要素だけ考えて細部は書きながらつなげていくという方法で書いていました。

僕が好きな小説家はみな*1、プロットは練りすぎず(あるいは全く作らず)書きながら考えたほうが作者の想像を超えた面白い小説になる(大意)ということを言っていたので、そういうものなんだなと思いこんでいました。また、実際にその手法で短編小説を書くのは上手く出来ていました。というより、上手く出来ていると自分では思っていました。

ですがその手法は才能がある人じゃないと出来ないということに気づきました。そして僕にはその才能がないということを認めるのにも時間が掛かりました。

長編小説になると、僕のアドリブ力では物語を転がす事ができず、苦し紛れに無理のあるストーリーをひねり出していました。たとえば、予定にない登場人物を増やしたり、人の死などのセンセーショナルな出来事を起こしてみたりして、物語を無理やり延命させていたのです。そうしているうちに展開が散らかってきて、自分が最初に書きたかったものとかけ離れていました。自分で面白いと思えなくなるのも当然です。

 

今回たまたま核となるアイデアが思いついて、とても面白い小説になる予感がしました。このアイデアは大事に育てなければいけない、と僕は何ヶ月も頭の片隅にアイデアを置いて、そこからストーリーが膨らむのを待ちました。

ですが僕の場合、勝手にはストーリーが膨らまないことに気づきました。なので、僕は尊敬する小説家たちの手法とは違い、いわゆる芸術家然とした創作方法ではなく普段仕事として行っているシステムエンジニアリング的な手法で小説を作ることにしました。

システム開発においては、まずは要件を整理し、ユーザの操作方法やデータの流れなどに関する外部設計書を書き、システム内部動作やシステム内のデータのやり取りなどを明確化した内部設計書を作ってからようやくプログラミングを行います。

小説を書くにあたって同じように、物語のコンセプトを明確化し、あらすじを書き、登場人物の役割とバックボーンを詳細に作りました。物語においても起承転結の流れと主人公が直面する困難、感情の動きと次の展開への影響を書き出しました。

当然そんなことは今までやってこなかったので、準備に飽きて小説を書き出したくなるのですが、それをぐっとこらえました。プロットが思いつかず悩んだときには、「メモの魔力」という本に従って、1分間で思いついたアイデアをとにかく書き出して、なんとか絞り出しました。

 

正直に言って、このようなビジネス系自己啓発本に従って創作行為を行うことは僕の美学からはかなり反していました。おそらく創作を趣味として行う人のほとんども同意見なのではないでしょうか。有り体に言ってしまえば「ダサい」ことだと思うのではないか。

ですが僕はもうダサくても書くことにしました。僕は芸術家ではないし、天性の才能も持っていない。いくらダサくて泥臭くて、借り物のノウハウだとしてもそれで戦うしかない。そう認めることにしました。

自己啓発書だけでなく、これまで斜め読みして身につけたつもりになっていた物語創作のハウツー本も読み返し、読者に訴えかける物語について改めて取り込みました。

 

そうしてプロットをおよそ1ヶ月ほどかけて作り、3ヶ月の執筆期間を経て長編小説を書き上げることができました。前に挫折した120枚の辺りに差し掛かると、やはり「本当に面白いのだろうか」という猜疑心に囚われましたが、プロットを頼りに書き進めていくことで何とか乗り越えることが出来ました。200枚を超えるとスランプを抜けたのか、スラスラと枚数を増やすことができました。

また、時間を掛けてプロットを練りましたが、結果としてプロット通りとはならず、予定外の登場人物が増えたりしました。ですがそれが面白さに繋がっており、いわゆるプロの作家たちが言う「プロットを超えたところに面白さがある」がわかったような気がしました。

 

今回書いた小説は、これまで僕が書いたものとは量だけでなく質的にも向上したと思います。というか、段違いに面白くなったと自分では手応えを感じています。面白くなるように設計して書いたのだから当たり前かもしれませんが、面白いものを書こうと思えば書けるということがわかったのが大きな収穫でした。

これまで僕は自分で書いたものを胸をはって「面白いので読んでください」とは言えませんでした(宣伝するときは言いましたけど)。「少なくとも自分では面白く読めるけど、他人が読んでも面白いと感じられるかはわからない」というのが正直なところでした。面白いと思ってくれるひとだけ読んでくれればいい、と思っていましたが、それは甘えであり、面白いものを作るという努力を放棄していたのだなと今では思います。

また、10年以上続けてきた行為でも、意識的に改革に取り組めば、まだ成長の余地があることがわかりました。創作行為も長く続けていると意義を見失いがちになりますが、これからも書き続ける希望が見えた気がします。

今回書き上げた小説は某新人賞に応募するので、すぐに日の目を浴びることはないですが、どのような結果であれいずれお見せできればと思います。