木曜日。
夜中雨が降り続き、これまでで最も冷える朝となった。寒かったせいか朝七時まで眠っていた。
朝はいつものカフェにて、細切りの牛肉をトマトとチリソースで煮込んだものと、ベーコンと卵の炒め物を食べる。ふとトルティーヤが欲しくなり店員に持ってきてもらうように頼むと、
「お前、トルティーヤは無料だと思ってないか」と教授が僕に言う。
「違うんですか」僕は驚いた。
「お前なあ、タダでもらえるはずないだろう」
言われてみればその通りである。メキシコ人たちがトルティーヤをほいほいと食べていくのでてっきり無料だと思っていた。
しかし、会計を見てみたらやはりトルティーヤ代金は含まれていなかった。多分、店によるんだと思う。もしくはモーニングだけ無料なのかもしれない。
研究所に着き、ひたすら実験を行う。データが上手く取れていないのでその原因を探るのに明け暮れた。ケーブルの抜き差しを繰り返す。
実験も上手くいかないが、体調も芳しくなかった。腹が痛い。
いい機会なので、メキシコの便所事情を説明しておこう。汚い話になるので食事中のひとは読み飛ばしてください(食事をしながらこの日記を読む人なんてほとんどいないと思いけれど)。
下水インフラが整備されていないため紙を流すことができないことについては前に述べた。メキシコは場所によってトイレ環境のランクが大きく異なる。ホテルのトイレやちゃんとした商業施設のトイレは、紙が流せない以外は日本とさほど変わらないのだが、研究所にあるトイレはかなりランクが低い。
まず、洋式トイレなのに便座が存在しない。むき出しの陶器の上に座らなければならないから、衛生的じゃないし冷たさが素肌から伝わり非常に冷える。これを避けるには常に空気椅子のような体制で用を足さなければならない。
次に、個室の扉のサイズがおかしい。普通トイレの個室というものは完全に外界と遮断されているか、上部だけ空いていることが多いと思う。だがこのトイレは成人男性の胸の位置くらいまでしか扉が無く、下も膝くらいところが空いているのだ。西部劇に出てくるパブの入り口に使われているようなサイズの扉を想像してほしい。その気になれば中に誰がいるのか容易に覗くことができてしまうのだ。正直これについては全くもって閉口した。
そして、トイレットペーパーは個室の外にある。手洗い場のあたりに巨大な紙ロールが備え付けられており、使う分だけ取ってから個室に入らなければならない。こういうシステムのトイレは韓国にもあったから、外国ではよくあるのかもしれない。このシステムの最大の問題点は、持ち込んだ分で紙が足りなかったときである。そういった状況に追いつめられたときの絶望感は凄まじい。そして僕はその状況に陥ってしまった。
ひどく腹を壊していたため、尻を拭いた後にまた用を足してしまい、紙が足らなくなってしまったのである(用を『足して』紙が『足らない』のはヘンな話ですね)。
この状況を打破するために僕はどうしたか?
解決方法はシンプルである。外にあるロールから紙を取ればいいのだ。だが事態はそんなに単純ではない。
僕の尻は汚れている。当たり前である。汚れているものを拭く紙がないのだ。したがってこの状況でパンツを履き直して外に出れば、パンツが汚れてしまう。
となると、パンツを履かずに外へ出るしかあるまい。
それはもはや必然の答えだった。幸い研究所の外れにあるトイレはあまり人も来ない。だが局部を丸出しにして外に出るのはさすがにリスクが高すぎた。しょうがなく折衷案を取ることにした。半分だけパンツを履く、いわゆる半ケツ状態で外の紙を取る。完璧ではないが最善の策に思えた。
だが僕はひとつの欠点を見落としていた。中途半端にズボンを履くことになるから、なし崩し的にヒョコヒョコ歩きになるのだ。これは見た目の奇怪さもさることながら、移動速度に致命的な限界が生じてしまう。
間が悪いことに、その瞬間にホセがトイレに入ってきた。ホセがメキシコの研究メンバーの中で一番偉いということは、確か前に述べたと思う。
そして、彼は僕の方をちらりとみた。
半ケツで紙を取るヒョコヒョコ歩きの奇怪な日本人を彼はどのように感じたのだろうか。それは分からない。
彼は無言だった。僕も無言だった。
彼の目はとても暗く深い洞穴を見つめるような目をしていた。それは何かを示唆するような目だった。僕という人間から何かを汲み取るような目でもあり、それでいて僕の中から何も見いだせなかったようなことに対する失望にも似た虚無に満ちていているようでもあった。彼は何一つ表情を変えず、紙ロールから自分の使う分の紙を取り、個室へ入っていった。ホセの頭が中途半端なサイズの扉の上部から見え隠れしていた
僕は半ケツのまま自分の個室に戻り、尻を拭いて外へ出た。
夏のメキシコの空はとても青く、抜けるように晴れ渡っていた。だが、僕の心にはホセの目の暗さが残り続けた。