惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

新人賞に落ちていました

落ちていました。最終選考に残らないどころか選評すら貰えず。

 

本気で受賞すると思っていました。どこからそんな自信が出てきたのか、落ちた今となっては笑うしかないですが。受賞は無いまでも最終選考くらいには確実に残るだろうと思っていました。過去の受賞作や、最終候補に残ったという作品をネットで探して比べてみても、それでも自分の作品のほうが面白いと本気で思っていました。つまりは自作を客観視できていないということですね。

 

ここ数年で最も絶望的な気分になっています。今までも新人賞に応募したことはありましたが、短編だったし、賞のために書いたわけではなくてそのときに書き上がったものを直近の賞に応募していたので、落ちてもそれほどショックではありませんでした。今回はこの賞に向けて書いていましたし、長編なので書き上げるための労力も大きかったので、その分落胆も大きいです。

 

年をとると、頑張っても報われないという経験はあまり無くなってくる、というか、報われる範囲のことしか頑張らないよう無意識にセーブするようになっていたみたいです。こんなふうに無慈悲に自分の行為を否定されるのが久しぶりでダメージが大きいです。当分立ち直れそうにない。

初投稿で受賞する人はごくごく一握りで、ほとんどは何度も落選を経て掴み取るものというのはわかっています。こんなに辛い経験を何度もして、それでも再チャレンジできるひとはすごすぎる。それだけで才能があると言えます。

僕は一発で受賞できるような天才ではないし、何度も報われない投稿を繰り返すタフさもないかもしれない。そんな自分の無能力さが何よりも辛い。

ポジティブな要素としては、最初に書いた長編だからまだ改善の余地は大いにあるというところですが、そもそも書こうという気力がしばらく湧いてこなさそうです。

 

最近プライベートが忙しくてしんどかったのですが、とどめを刺されました。

何もしたくない。泥になりたい。そんな気分です。では。

長編小説の書き方(反省と備忘)

先日、長編小説を書き上げました。

文字数は約95000字、原稿用紙換算で285枚です。これまで僕が書いた単一の作品としては最長になります。一般的にどれくらいの長さから短編・中編・長編に分かれるのか明確な基準があるわけでは無いですが、長編小説の新人賞では原稿用紙250枚か300枚以上という規定が多いので、今回書いたものは短めの長編小説に分類されるのではないでしょうか。

これまで僕が書いたもので一番長い小説は200枚程度で、それも連作短編という形でした。単一の長編はというと、何度もチャレンジして途中で挫折しており、最も長かったものでも120枚ほどでした。ひとによってはいくらでも長い小説が書ける、むしろ長すぎていつまでも終わらせられないというケースもあるようですが、僕の場合は長い物語を作れないことが長年の悩みでありコンプレックスでした。

小説を書き始めた高校生の頃は原稿用紙10枚のショートショートを作るのが精一杯でしたが、大学〜社会人を経て70~80枚程度の短編小説は普通に書けるようになりました。なので長編が書けないのも時間が解決する問題かと思っていましたが、さすがに小説を書き始めて10年以上経過して「時間が解決してくれる」というのは甘すぎる考えだと思い、今回の長編小説を書くにあたっては徹底的に書き切ることを目標としました。

 

途中で書くのを挫折してしまう理由を考えてみると(少なくとも僕の場合は)大きく分けて3つありました。

  1. 話の展開が思いつかない
  2. 自分で書いているものが面白いと思えずモチベーションが保てなくなる
  3. 書くことに疲れる、飽きる、別のことをやりたくなる

また考えてみると、これらは独立した項目ではなく1→2→3の順番で発生していることに気づきました。このメカニズムを説明するためにはまず僕がこれまでどのように小説を書いていたかを説明しなければなりません。

 

僕はこれまでプロットというものをきちんとした形で練ってはいませんでした。主要な登場人物と大まかな話の流れは事前に書き出してはいましたが、断片的な要素だけ考えて細部は書きながらつなげていくという方法で書いていました。

僕が好きな小説家はみな*1、プロットは練りすぎず(あるいは全く作らず)書きながら考えたほうが作者の想像を超えた面白い小説になる(大意)ということを言っていたので、そういうものなんだなと思いこんでいました。また、実際にその手法で短編小説を書くのは上手く出来ていました。というより、上手く出来ていると自分では思っていました。

ですがその手法は才能がある人じゃないと出来ないということに気づきました。そして僕にはその才能がないということを認めるのにも時間が掛かりました。

長編小説になると、僕のアドリブ力では物語を転がす事ができず、苦し紛れに無理のあるストーリーをひねり出していました。たとえば、予定にない登場人物を増やしたり、人の死などのセンセーショナルな出来事を起こしてみたりして、物語を無理やり延命させていたのです。そうしているうちに展開が散らかってきて、自分が最初に書きたかったものとかけ離れていました。自分で面白いと思えなくなるのも当然です。

 

今回たまたま核となるアイデアが思いついて、とても面白い小説になる予感がしました。このアイデアは大事に育てなければいけない、と僕は何ヶ月も頭の片隅にアイデアを置いて、そこからストーリーが膨らむのを待ちました。

ですが僕の場合、勝手にはストーリーが膨らまないことに気づきました。なので、僕は尊敬する小説家たちの手法とは違い、いわゆる芸術家然とした創作方法ではなく普段仕事として行っているシステムエンジニアリング的な手法で小説を作ることにしました。

システム開発においては、まずは要件を整理し、ユーザの操作方法やデータの流れなどに関する外部設計書を書き、システム内部動作やシステム内のデータのやり取りなどを明確化した内部設計書を作ってからようやくプログラミングを行います。

小説を書くにあたって同じように、物語のコンセプトを明確化し、あらすじを書き、登場人物の役割とバックボーンを詳細に作りました。物語においても起承転結の流れと主人公が直面する困難、感情の動きと次の展開への影響を書き出しました。

当然そんなことは今までやってこなかったので、準備に飽きて小説を書き出したくなるのですが、それをぐっとこらえました。プロットが思いつかず悩んだときには、「メモの魔力」という本に従って、1分間で思いついたアイデアをとにかく書き出して、なんとか絞り出しました。

 

正直に言って、このようなビジネス系自己啓発本に従って創作行為を行うことは僕の美学からはかなり反していました。おそらく創作を趣味として行う人のほとんども同意見なのではないでしょうか。有り体に言ってしまえば「ダサい」ことだと思うのではないか。

ですが僕はもうダサくても書くことにしました。僕は芸術家ではないし、天性の才能も持っていない。いくらダサくて泥臭くて、借り物のノウハウだとしてもそれで戦うしかない。そう認めることにしました。

自己啓発書だけでなく、これまで斜め読みして身につけたつもりになっていた物語創作のハウツー本も読み返し、読者に訴えかける物語について改めて取り込みました。

 

そうしてプロットをおよそ1ヶ月ほどかけて作り、3ヶ月の執筆期間を経て長編小説を書き上げることができました。前に挫折した120枚の辺りに差し掛かると、やはり「本当に面白いのだろうか」という猜疑心に囚われましたが、プロットを頼りに書き進めていくことで何とか乗り越えることが出来ました。200枚を超えるとスランプを抜けたのか、スラスラと枚数を増やすことができました。

また、時間を掛けてプロットを練りましたが、結果としてプロット通りとはならず、予定外の登場人物が増えたりしました。ですがそれが面白さに繋がっており、いわゆるプロの作家たちが言う「プロットを超えたところに面白さがある」がわかったような気がしました。

 

今回書いた小説は、これまで僕が書いたものとは量だけでなく質的にも向上したと思います。というか、段違いに面白くなったと自分では手応えを感じています。面白くなるように設計して書いたのだから当たり前かもしれませんが、面白いものを書こうと思えば書けるということがわかったのが大きな収穫でした。

これまで僕は自分で書いたものを胸をはって「面白いので読んでください」とは言えませんでした(宣伝するときは言いましたけど)。「少なくとも自分では面白く読めるけど、他人が読んでも面白いと感じられるかはわからない」というのが正直なところでした。面白いと思ってくれるひとだけ読んでくれればいい、と思っていましたが、それは甘えであり、面白いものを作るという努力を放棄していたのだなと今では思います。

また、10年以上続けてきた行為でも、意識的に改革に取り組めば、まだ成長の余地があることがわかりました。創作行為も長く続けていると意義を見失いがちになりますが、これからも書き続ける希望が見えた気がします。

今回書き上げた小説は某新人賞に応募するので、すぐに日の目を浴びることはないですが、どのような結果であれいずれお見せできればと思います。

もし我々が彼のように飛べたのなら 『トップガン マーヴェリック』

大ヒット上映中『トップガン マーヴェリック』トム・クルーズ コメント動画が公開! | EarthCinemas

 

目覚ましい大ヒットで巷を騒がせている『トップガン マーヴェリック』である。

久々に劇場に行き鑑賞したのだが噂に違わず大傑作だった。ぼくがハリウッド映画に求めているもの、いや、『映画』に求めているものが全て詰まっていた。あまりに素晴らしすぎて何年かぶりに2回映画館で鑑賞してしまったくらいだ。

ぼくが映画に求めるものとは何か。それは、今までに見たことがないものを見ること、体験したことがないことを体験すること、そして映画に没入すること――くだけて言えば、ワクワクすることを求めている。

メイキング映像で主演・プロデュースをつとめたトム・クルーズはこう語っている。

「この手の体験は、ありのまま観客に伝えるためには、本物を撮るしか無い」

そうして本作は俳優たちを本物の戦闘機に乗せて撮影されている。もちろん戦闘機に乗るためには相応の訓練が必要となる。ただ乗るだけではなく演技もしなければならない。トム・クルーズパイロット免許を持ち自前のプロペラ戦闘機を乗り回している超人だが、もちろん他の共演者たちはそうではない。撮影にはかなり困難を極めたようだ。戦闘機のコックピットにカメラマンを乗せることはできないので、俳優たちは演技しながら自分自身でカメラ操作をしなければならなかった。撮影された映像は800時間にも及び、そこから映画に実際に使われたのは数十分しかないというから驚きだ。

そんな苦労をしなくても、現代においてはCGで何でも本物らしく撮ることができるはずだ。だがトム・クルーズや本作の監督であるジョセフ・コシンスキーはそれを許さなかった。なぜなら観客に体験をさせなければならないからだ

ぼくは映画を見ながら、まさに映画を体験した。まず前作の『トップガン』をリファインしたオープニングからぐっと引き込まれ、その後は完全に映画の中に入り込んでしまった。気がつけばぼくはマーヴェリックになってカワサキのバイクを駆り、F/A-18に乗って大空を飛んでいた。130分の映画の中で、スクリーンの外を意識することはまったくなかった。それは2回目の鑑賞でも同じだった。映画が終わりエンドロールが流れた時、心地よい虚脱感が身体を包んでいた。映画館で素晴らしい映画を観たときの幸福だけがそこにあった。

トップガン マーヴェリック』はおそろしくシンプルな映画だ。ストーリーに複雑さはまったくない。アメリカ軍が舞台だが敵は『ならずもの国家』とだけ呼ばれていて、政治的な含意や意味深なメタファーはない。それは目の肥えたアマチュア評論家たちがネットで批評し合う現代において、もはや軽薄とも言えるかもしれない。だがその軽さは、観客に体験させるという目的に対しノイズにならないように徹底的に意図されたものだ。「これは戦争映画ではなくスポーツ映画なのだ」とコシンスキー監督は語る。一作目にあたる『トップガン』が今も愛される名作であるのは、それが戦争映画ではなく競争を描いた物語であるからだとコシンスキー監督は分析した。そして、だからこそ映像は本物でなくてはならないのだと判断したのだろう。

また、この映画はコロナウィルスの影響により何度も上映が延期されていた。他の作品がネット配信での公開を行う中、本作は頑なに映画館での封切りにこだわった。それもやはり観客に体験させるために必要なことだからだ。巨大なスクリーンと立体的な音響によって、観客を映画の世界に没入させなければいけないからだ。本作はこの現代においてこれ以上無いくらいに映画的な映画と言えるだろう。

 

子どもの頃に映画を観た時、ワクワクしドキドキして夢中になったことが誰しもあるだろう。その興奮は大人になるにつれ、やがて失われてしまう。だがこの映画はそれを再び蘇らせてくれた。

かつて、ジャズ・サクソフォーンの名手スタン・ゲッツについて同じく伝説的なジャズの巨人であるジョン・コルトレーンはこう言った。「もし我々が彼のように吹けるのなら、みな彼のように吹いているだろう」と。

もし我々がマーヴェリックのように飛べるならば、みな彼のように飛ぶだろう。そしてあなたはカワサキのバイクで荒野を走り抜け、滑走路から飛び立つ戦闘機と並走するだろう。あなたはマーヴェリックになり、マーヴェリックはあなたになる。映画のタイトルに主人公の名が冠されているのは、おそらくそういうことなのだろうとぼくは思う。

そしてぼくたちは映画になり、映画はぼくたちになる。かつて、子どもの頃そうだったように。

 

1年半かけてプロジェクトマネージャ試験に合格した

情報処理技術者試験「プロジェクトマネージャ」に合格しました。タイトルの通り勉強を始めたのが2020年の年始頃だったので1年半ほど掛かっています。とはいえ実際に勉強していた時間は4ヶ月ほどだったのですが…この理由は後述します。準備期間が短ければ短いほど情報のインプットに優れていることになるかと思いますが、僕の要領の悪さをあえて晒すことにより誰かの参考になる部分があればと願います。

 

プロジェクトマネージャ試験はその名の通りシステムエンジニアリングのプロジェクト管理者としてのスキルを問う試験です。今年の合格率は14.4%であり難関資格と言えますが、実際には記念受験的な人や午前免除目当ての人もいるので、本気で合格を目指している人に限れば3割くらいは合格しているのではないでしょうか。

プロジェクトマネージャという役職(役割?)はプロジェクト運営におけるリーダにあたり、これより上になると経営層になるので技術者という括りでいえばプロジェクトマネージャはひとつの到達点になるかと思います。情報処理技術者試験ではプロジェクトマネージャの次はITストラテジストかシステム監査技術者試験がそれに該当しますが、やはり経営的な知識が問われます。

そんなわけで僕としては結構前からプロジェクトマネージャ試験に合格したいなあと漠然と思っていましたが業務が忙しかったりプライベートでバタバタしていたりして先送りにしていました。僕の勤め先ではプロマネ試験に合格すると報奨金が20万円ほどもらえたのですが3年位前に廃止されました。おそらく報奨金目当てで資格を取りまくる輩がいたのでしょう。まぁそれはそれで悪いとは思いませんが…。会社に抗議したのですが結局聞き入れられず、腹が立ったのでむしろ合格してやろうと思い、受験に至ったわけです。我ながらあまのじゃくというか、もっと早く受けとけよって話なのですが…。

 

受験までの経緯

もともと2020年の春の試験を受けるために2020年の1月頃から勉強を開始しました。ですがコロナの流行により2020年春の情報処理技術者試験はすべて中止になり、プロジェクトマネージャ試験は秋に延期になりました。

さらに秋の試験では「不要不急である場合は受験を避けてください」とアナウンスがあったので「まあ急いでるわけではないし、合格して会社に報告したときに何か言われるのも嫌だな」と思って受けませんでした。

ところが結局2021年の試験でも「不要不急なら〜」と同じアナウンスがあったので、「ああこれは鵜呑みにしてたらいつまでも受けられねえわ」と思い至りました。

すでに午前1試験免除資格を失っていたので*1、2021年春にシステムアーキテクト試験を受けました。業務的にはプロジェクトマネージャよりもシステムアーキテクトに近いのでイケるかなと思っていましたが、午前1免除の基準は満たしたものの午後1試験で不合格になりました。まあ本命は秋のプロマネ試験ではあったのですがシステムアーキテクトに落ちたのはかなりショックでした。プロマネを受ける気力を失うほどショックでしたがそれでは本末転倒なのでなんとか奮起し、今回の合格に至りました。改めて自分を褒めたい

そう自分でいうのもなんですけど、とにかく今回僕はめちゃくちゃ頑張ったんです。だからこの記事を書いているようなものです。頑張った度合いでいえば大学受験のときよりも高いのではないか。大学に合格したときは泣かなかったですが、プロマネに受かっていたときは少し涙が浮かびました。松坂屋ポケモンセンターでルンパッパのぬいぐるみを握りしめながら半泣きになっていた男が僕です(そんなところで合格発表を確認するなって感じですが)。

もちろん勉強時間やプレッシャーは大学受験のほうが段違いで上ですが、プロジェクトマネージャ試験においては業務と育児の合間を縫って時間を確保し、報奨金も貰えないのにただただ自己研鑽のために(いちおうほんっっっのちょっとだけ昇格試験で有利にはなる)頑張りました。すごいぞ自分。えらいぞ自分。僕は限界だ。(ref.エキセントリック少年ボウイのテーマ)

 

受験におけるノウハウ

受験のノウハウについてはいまさら僕が語らなくてもネットに沢山情報があります。僕は友人でありスーパーSEであるタキモトさんのブログ記事を参考にさせていただきました。この記事を読んで、この記事でも紹介されている三好先生の参考書を繰り返せば受かります。僕は受かりました。

s-tkmt.hatenablog.com

この参考書はとにかく解説が充実しており、10年以上の過去問すべての解説をPDFでダウンロードできるほか、Youtubeで詳細な解説動画が挙げられています。控えめに言って三好先生は神。ただしダウンロードページのアクセス権は1年間のみになるので、もし不合格になって次年度受け直す場合は気をつけてください。

 

いちおう僕が受験したうえでの各試験の感想を述べます。

・午前2

選択式マークシート問題。過去問から半分くらい出題されるので、とにかく10年分くらいの過去問を解いて解答を暗記すれば合格点は取れます。問題文や選択肢も過去問と一緒なので、問題文を見た瞬間答えを書けるくらいになれば楽勝です。

 

・午後1

記述式問題。これが僕としては一番苦労しました。国語の試験と同じ要領で問題文の中から答えを拾うタイプの問題と、プロジェクトマネージャとしての一般知識から答える問題が混在しており、その判別が難しいです。問題文に答えが見つからなかったら一般知識解答といわれていますが、そうでもない問題が結構あり何が基準なのかよくわかりません。いちおう過去問を数多くこなせばなんとなく基準めいたものが分かるようになってきますが、最後まで確信を持って解答することはできませんでした。

僕は現代文の科目はめちゃくちゃ得意なのですが(自慢)、これはもうダメです。全然わかんない。システムアーキテクトの午後1が不合格だったのも、結局過去問を解く量が不足していたためだと思います。

 

・午後2

論述式問題。「プロジェクトマネージメントって、こういう問題が起きるからこんなことに気をつけないといけないよね。君のそういった経験を答えてね」というテーマで120分で4000字の論文を書かなければいけません。ぶっつけ本番ではまず無理です。そもそも現代社会において120分で4000字を手書きする体力は社会人から失われてるんです。僕は過去問を5問ほどパソコンで下書きし、それを見ないで手書きする練習を繰り返しました。

システムアーキテクトの試験を受けたときにはこの手書き練習をあまりしなかったので、本番ではほとんど字数を埋められずに終わってしまいました。この苦い経験があったからこそプロマネには合格できたので、結局コロナの延期がなくて2020年に受けていたらやはり不合格だったでしょう。

そして論文の内容についてですが、論文といっておきながら経験談を書くのでいわゆる小論文とは異なります。なのでその作法を練習する必要があります。上述のタキモトさんのブログでも「小説を書くつもりで」と言われている通り、ぶっちゃけ問題文の通りの経験談なんて持ち合わせてない場合がほとんどなのでフィクションをでっち上げるしかないんです。

本番で初見の問題に対してアドリブで書き上げるためには、相応の下準備が必要です。どんな題意にも対応できるように火種を孕んだプロジェクトのサンプルケースをストックしておきましょう。僕は問題分野を納期・品質・ステークホルダマネージメントあたりに絞って対策していたので、納期必達を求められる(ただし機能・性能削減の余地がある)プロジェクト、品質が求められる(のに段々レビュー指摘が増えてくる)プロジェクト、ステークホルダー間で意見が合わないプロジェクト、というようなケースを用意しておきました。

本番では問1の「プロジェクトチーム内の対立の解消について」を選択しました。これは用意していたプロジェクトとは合わないですが、幸い業務で似たような問題に何度も直面していたので書きやすかったです。もはや何を書いたかうろ覚えですが、流れとしては以下のような感じです。

1. レガシーシステムにAI技術を用いた新機能を実装。レガシーシステムの開発チームに、AI技術に習熟したメンバを社内の他のプロジェクトチームから収集。

2. 既存メンバと新規参入メンバの間で意見が対立。レビューで手戻りが発生しているのでチームメンバにヒアリングして問題を特定。

3. ちゃんと設計リーダーを定めて設計基本方針と意見が対立したときの方針(揉めたらコインで)を決める。勉強会をやって既存メンバと新規メンバの知識差を平滑化する。

4. しばらくして遅延が見られなくなってヒアリングしてもいい感じだったよ→プロジェクトも大成功

 

うん、現実はこんなふうにはいかないから。

そもそも設計リーダーが決まってないなんて組織としてダメでしょ、と途中で思いましたがアンドゥもカットペーストも挿入もできないのが手書きです。しょうがないので最後の改善点で「本来は設計リーダーをあらかじめ定めて指揮系統を明確化するべき」と書いておきました。まあ完璧なチームだったらそもそも問題なんて起きないわけで、あるべき論はちゃんと知ってるんですよとアピールできれば合格点はもらえるということで…。

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合格した証拠画像を貼っておきます。

とにかくプロジェクトマネージャ試験に合格したことだけで2021年は上々の年だったと言えます。本当に良かったです。当分資格勉強はしたくない気持ちでいっぱいですが、業務命令によりクソどうでもいい資格を受けないといけないので引き続きがんばります。はやく終わらせて読みたい本がたくさんあるんですが…。

*1:ほかの高度情報処理技術者試験に受かっていると2年間午前1試験が免除されます

佐藤究『テスカトリポカ』 虚構を現実に、現実を虚構たらしめるもの

 

 

大傑作である。

 

第165回直木賞、第34回山本周五郎賞同時受賞。

受賞したこと自体はこの作品の凄さを物語らない。殆どの直木賞受賞作なんて文学史からすれば大したことのない作品ばかりだ。本作はこの内容で直木賞を受賞したことが凄いのだ。

直木賞芥川賞と並んで一般的にもっともメジャーな文学賞であるが、どういう作品に与えられるかは意外と知られていない。直木賞は大衆文学(エンターテイメント)を対象とし、十数年前までは中堅作家の円熟した作品に与えられる賞として、しばしば旬を逃した作家・作品が受賞していた。僕自身も直木賞作品は殆ど読んでこなかった。

直木賞はメジャーな文学賞なので受賞作は売れる。だからこそ、売れてほしい作品が選ばれる傾向がある。もちろん筆力、時代性、社会性といった面が第一で評価されるが、多くはまっとうな「大衆的な」作品が選ばれてきた。

だが本作は全く大衆的ではない。麻薬、児童臓器売買といったヘビーな題材を扱う本作にはモラルを持ち合わせた人間は殆ど出てこない。目を背けたくなるような暴力的・残虐的なシーンも多く、弱者が徹底的なまでに虐げられる場面ばかりだ。闇社会の資本主義が本作のテーマであり、大多数の人間に好かれる作品では決してないだろう。

候補作が出揃った段階で『テスカトリポカ』は圧倒的な質の高さから書評家たちから大本命とされていたが「果たしてこの作品が直木賞にふさわしいかという観点で考えると難しいかもしれない」とも言われていた。

だが『テスカトリポカ』はそんな心配は物ともせず、ねじ伏せるような形で直木賞を受賞した。審査員からも「文学とは人に希望を与えるものではないか」という反対意見が挙がったらしいが、「この悲惨は現実で起きていることであり、目を背けてはならない」ということになり受賞に至ったという。

 

そう、この作品の何が凄いかと言えば、虚構を現実に、現実を虚構たらしめる力である。

 

舞台はアメリカ国境の近くメキシコのクリアカンの街から始まる。麻薬カルテル自治部隊が衝突するこの街に生まれた少女は、兄をカルテルに殺され自由を求めてメキシコから川崎へと流れ着く。そして少女は暴力団員との間に子をもうけたが、やがて自分自身も薬物中毒へと堕ちてゆく。その子ども、土方コシモが本作の1人目の主人公である。コシモは生まれ持った怪力を持て余し、ある日激高し自分を殺そうとした父親を殺し、薬物中毒の幻覚の中で刃物で襲いかかる母親も素手で殺してしまう。そして少年更生施設へと送られ、怪力の他にもうひとつ生まれ持った才能である手先の器用さで彫刻を彫り続けながら出所の時を待ち続ける。

また、もうひとりの主人公であるバルミロ・カサソラは3人の兄弟ともに巨大麻カルテルのボスとして君臨していたが、敵対するカルテルの急襲により他の兄弟は全員死に、バルミロもすべてを失ってジャカルタへと逃れる。そこで出会ったひとりの男と共に日本へ渡り、新たな闇ビジネスを手掛かりに裏社会で返り咲くことを目指す。

この作品で扱われている麻薬取引の実態や臓器売買に関する事は現実に起こっていることである。作中では暗号通貨やGPS、ドローンといった最新技術を用いた取引方法が描かれる。作者の佐藤究氏は直木賞受賞の場で友人である危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレス氏に感謝を述べていた。丸山ゴンザレス氏といえばテレビ番組「クレイジー・ジャーニー」で麻薬・銃取引やスラム街の実態を身一つで取材してきた人間である。丸山氏が取材していたメキシコ・ファベーラの街も本作に登場する。

『テスカトリポカ』はもちろん小説ではあるが、その文体はルポタージュに近い。レトリックを極力廃し会話文も殆どない。膨大な資料と取材によって形成されたバックボーンはとても強固なものであり、現実感と緊張感に満ちた描写によって物語られる。メキシコの麻薬戦争を描いた「ボーダー・ライン」という映画があるがそれに引けを取らない緊張感に満ちている。

 

youtu.be

だがこの作品の魅力は、その現実感と両立した飛躍的なフィクションにある。タイトルの「テスカトリポカ」とはメキシコ先住民のアステカ文明の神のひとりである。バルミロは祖母から自分たちはアステカの戦士の祖先であるとして幼少期からアステカ神話を刷り込まれた。バルミロは敵対する人間を殺し、その心臓をテスカトリポカの神に捧げる。その呪術性と現実に則した闇社会ビジネスが互いに結びつき、フィクションの飛躍性と現実性を両立させることに成功させている。

バルミロと土方コシモが出会うとき闇ビジネスがテスカトリポカの神話のメタファーだったことが明らかになり物語は急展開を迎える。

小説を読んで息を呑み鳥肌が立つ体験をしたのはいつぶりだろうか。物語の先が気になって深夜まで読み耽ったのはいつぶりだろうか。心躍るような読書体験ーーありきたりな表現だが、本当に読書をしながら心が躍るなんて人生であと何回あるだろうか。そして、そんな体験を日本の現代作家の作品で得られるとは思わなかった。

直木賞を受賞したことでこの作品はより多くの人が読むだろう。そして多くの人がこの作品で描かれる現実とフィクションを直視できずに読むのをやめるだろう。だがそれでも多くの人の手に届き、日本文学の新たな可能性を見出す人が増えることを願う。

Oriental ShoemakerのARANを購入しました。

planetarywords.hatenablog.com

前回の記事で何を買うべきか悩んでいると書きましたが、購入してしまいました。

Oriental ShoemakerのARANです。

oriental-shoemaker.com

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どうですか? 我ながら素晴らしい靴だなあと思います。

公式インスタグラムで「イギリスを意識している」という旨のコメントがありましたが、おそらくクロケット&ジョーンズのモールトンが下敷きになっているのではないかと思います。

 

モールトンはこちら。

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www.frame.jp

前回の記事で紹介したように、最近の流行りなのかゴルフやシャンボードのようにぽってりとした丸いフォルムのUチップのモデルは多いのですか、ARANやモールトンのようにつま先にいくにつれシャープになっているUチップは少ないようです。モールトンは名作とされながら廃盤となっており、後続モデルとされているWEXFORDは少し丸みを帯びたゴルフに近い形となっていますので、やはり世間的にはそういう流れのようです。

モールトンにはない、ARANの大きな特徴は外羽根の真ん中からと、踵からの交差するパターンになります。こういった外羽根の真ん中を切るような縫い目のパターンはかなり珍しいですが、エレガントさを演出しているのではと思います。

色は黒と茶が展開されており僕が購入したのはご覧の通り茶色になります。黒は普通のボックスレザーですが、茶色は型押しされたワックスドレザーになります。こちらはホーウィン社のアーリントンレザーではないかという情報がありますが公式には明らかにされていません。難破船から見つかった、今はもう製造方法が失われてしまったロシアンレザーというものがあるのですが、それに似た風合いを持っています。

 

型押しレザーの靴は初めてですが今からエイジングが楽しみです。

履いてみたかんじがこちら。今まで購入直後に履いてみた画像を残していなかったので、今回は気合入れて一眼レフで撮りました。いずれエイジングした画像もご紹介できたらと思います。

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このままだと革靴ブログになってしまうので、そろそろ本について話したいですね…。

ほしい靴は何か、そして何を買うべきか

いきなりですが革靴に限らずファッションというものは結局のところ自己満足なのではないでしょうか。

合コンや初デートならともかく、他人の服装をジロジロと細かい点まで見ることはしないでしょうし、他人からどう見られるかなんてそんなに気にしないでしょう。学生の頃だったら気にしてたかもしれませんが社会人にもなるとどう見られるかよりも自分自身がアガるかどうかが服装を選ぶ基準になっている自分がいます。

となると何を身に付けるのかは自分が満足できるか否かという尺度で測るべきであり、自分が満足できれば何も着ていても良いのです。逆に言えば自分が満足できないなら、どれだけ高価なブランドでも意味がないことになります。

衣服や装飾品などは意匠権を主張するのが難しいらしく、ひとたび人気の製品が生まれるとそのコピー品が次々に作られます。身につけている人がコピーでも満足できているならオリジナルを買う必要はないですし、逆にオリジナルが着たいのに金銭的な理由でコピー品で我慢するのは自己満足度の尺度で言えばあまり良い選択肢ではないでしょう。

革靴の価格の差による違いは前の記事で述べましたが、カジュアルな革靴では高級ブランドもそれを模した国内のブランドもあまり差はありません。ソールやヒールといった部位のディティールはカジュアルでなくドレッシーな靴に用いられるものであるため、カジュアル靴で差を付けるとしたら主には革の質になります。ですが革の質の差は素人目にはわかりにくいものです。手にとってまじまじと見ればいざ知らず、履いている状態ではまずわからないでしょう。

そうなってくると高級ブランドのカジュアル革靴を履くのはまさに自己満足です。その価格の価値とは「俺はいまXXXの靴を履いているんだぞ」という心持なわけです。(XXXにはジョンロブとかJ.M.ウェストンとかエドワードグリーンとかが代入されます。)

しかし前述のとおり満足できるなら何でも良いんです。別に十万円を超えるような靴でなくても良い。とはいえ、そうもいかないのが現実です。

実際に例を見てみましょう。並べてみます。

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いずれも黒のエプロンフロントダービー、いわゆるUチップの靴です。というか、いま僕がほしい靴です。例のごとく「全部一緒じゃん」という声が聞こえてきそうですが、一つずつ見ていきます。

 

jmweston.jp

一番上は名作と名高いJ.M.ウェストンのゴルフです。さいきんやたらとファッション系YouTuberが取り上げていますが流行っているんですかね? 13万を超えるので僕の財力ではおいそれと買うことは出来ません。しかし革靴ブログをやっているひとたちは何足もこの靴を持っているんですよね…。それだけと魅力と価値があるのでしょう。 

 

www.paraboot.com

二番目はフランスのメーカーParabootのシャンボードです。公式サイトの翻訳が微妙なのと文字化けしているのとで怪しげな印象を受けますが、由緒正しいフランスの靴メーカーです。「フランスの宝石」と呼ばれるリスレザーの独特の質感は唯一無二です。こちらは現在7万ほど、並行輸入品だと5万を切るものもあります。購入一歩手前まで気持ちが傾いていたのですが、試着して足に合わないので止めました…。欧米人向けなのか、とにかく日本人の足にはあまり合わないようで、みんな我慢して履いているようです。僕はそんなオシャレ忍耐力はないので諦めます。

 

42nd-onlinestore.com

その次は42ND ROYAL HIGHLAND ExplorerのCHN6401F-01です。こちらは情報も少なく東京でないと実物が見られないのでよくわからないのですが…最初写真を見たときに「シャンボードじゃん!!」と思ってしまいました。ノルウィージャンでリッジソール、やっぱりシャンボードじゃん! こちらは4万円弱で購入可能です。中国製。

 

www.rendo-shoes.jpお次はRENDOのGB001になります。こちらは浅草のメーカになります。シャンボードが足に合わなかった人におすすめ、というブログ記事を読み、気になっているところです。地方だと手に取れないのが難しいところ。寡聞にもRENDOというメーカをあまり存じ上げなかったのですが、リーズナブルで細かい注文にも対応してくれるパターンオーダーが非常に評判が良いみたいです。名古屋でもオーダー会やってくれないかな…。

 

oriental-shoemaker.com

最後も日本のメーカ、奈良のOriental ShoemakerのARANです。他のものとモカのタイプが(たぶん)異なるので、ちょっと異質ですね。サイドの縫い合わせのパターンが特徴的でエレガントで、カジュアルの中に上品な印象を与えます。こちらもかなーり気になっています。Orientalの靴は名古屋でもトレーディングポストさんで取り扱っているので、こちらも置いてあるかも。

 

結局こうやって並べてみてもやっぱり結論なんて出ません。ゴルフはやっぱりカッコいいし、RENDOだってOrientalだって良い靴なんです。本人が満足できるなら何でも良い。じゃあ何なら満足できるんだ、それがわからないから困っているわけで。つまりはこの記事は出発点から五里霧中だったということです。

つまるところ、結論は買ってみて長年履いてみてわかるってことでどうでしょうか。そんな結論じゃ意味がないわけで…。