惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

二次選考で落選した賞の評価シートが返ってきました

2次選考で落選したノベル大賞の評価シートが返ってきました。

評価シートは、文章力やオリジナリティなどの6つの項目に対するA~Cの3段階評価と短評で構成されています。

具体的な内容に関しては転載を禁止されているので、概要の説明と反省をしたいと思います。

 

まず、評価シートを貰う前の自己評価として、自作に対し以下のように考えていました。

【長所】

・物語における問題設定のスケールの大きさと意外性

【短所】

・既存作家の影響が明らかである(具体的には森博嗣村上春樹

・登場人物の性格に一貫性がなく、言動が物語の都合に引っ張られている

 

頂いた評価シートでは、文章力の項目がC評価、それ以外はB評価となっていました。

文章力に自信があったのでショックですが、賞の読者ターゲットに対しては文章が硬すぎたのではと思います(もちろん書き慣れない長編で文章の質を保てなかった部分もありますが)。あまり自信がなかった構成力やキャラクターはBだったので意外でした。

逆に言えばA評価がなく、全体的に平均だったとも言えます。1次選考は通過しているので一定ラインはクリアしているが特筆すべき点も無いため、それより上には行けなかったということかもしれません。

短評では、タイトルと導入の求心力や黒幕の正体とその動機が長所として挙げられていました。一方、中盤の展開が強引で整理されていないと指摘を受けました。自分では短所として自覚していなかったのでハッとしました。言われてみれば書いている途中に不自然さを自覚していたのですが、書き上げてからはもっと些末な部分に気を取られてしまったように思います。読者にとっては細かい技術の巧拙よりも、全体的な構成や流れが重要なのだと再認識しました。

いま新しい長編を書いていますが、すでに前作より数倍良いものが書けていると思います。頂いた評価シートの内容を活かし、より良い結果が得られるように努力したいと思います。

 

某所。次作のための取材に行きました。

 

進捗月報 8月

8月は半分くらい体調不良で臥せっていた。「夏バテ→風邪→盆休みで病院に行けずこじらせる」のコンボをここ数年繰り返している。ようやく治ってきたが未だに抗生物質を飲んでいるので完治していない。早く涼しくなってほしいが9月過ぎても暑いという予報を聞いて暗澹たる気持ちになる。

 

■アウトプット

ようやく重い腰を上げ小説を書き始めた。まだプロローグの最初で、全体の進捗率は3%程度。一ヶ月で3%ということは完成まで3年かかるということなのでもう少しスピードアップが必要。できるとは言っていない。

前回書いた長編小説の反省から色々と改善に取り組んでおり、技術向上を自分でも感じている。この調子で書き続けることができればかなり良いものが書けると思うが、長編のペースを保つのは難しいとわかっているので、楽観視せず焦らず書き進めたい。

 

■インプット

planetarywords.hatenablog.com

上の記事でも書いたが、色々触れてはみたものの(自分自身の不調のせいで)楽しめなかった。

<<書籍>>

東浩紀「観光客の哲学 増補版」

増補版でない通常版は2017年に既読。改めて読むと2017年からコロナを経て世界は様変わりしてしまったが、本書の主張が褪せていないことに驚く。

グローバリズムナショナリズムが対立していた当時の二層構造を明らかにし新たな立場として提案された「観光客」という概念は、コロナ禍における反観光の時代においても主張自体は通用するが響きは悪くなってしまった(本書はガンガン観光して経済を回しつつ知見を広めようぜという主張ではない)。帯で「ゆるさ」について言及されているのはそのせいだろうか。

 

劉慈欣「三体」

あまりに評判が良いので期待していたのだが、今のところあまり楽しめていない。「プロジェクトヘイルメアリー」もそうだったのだが、SF以外のディティールがあまりに雑すぎる気がして没入できない。センス・オブ・ワンダーの部分が荒唐無稽であってもあまり気にならないのだが、地球外の脅威に対する超国家的な組織描写が幼稚に思えて白けてしまう。それを忘れるほど面白い「SF」になることを期待して続刊を読んでいる。

 

「おうち性教育はじめます」

育児本として。自分は正しい性教育を受けていなかったのだな、と思った。

 

<<映画>>

「RRR」

面白かった。大英帝国による植民地支配時代のインドを舞台に、攫われた村の少女を奪還するために都にやってきたビームと軍部に所属するラーマによる友情と対立が描かれる。時代背景から予想されるような暗いトーンは一切なく、同監督の前作「バーフバリ」と同じく異様な熱気とハイテンションに満ちている。バーフバリでは神話だったので展開が無茶苦茶でも「まぁ神話だしな」で済んでいたのが、今回はいちおう史実をベースにしているので色々とツッコミを入れたくなる。というか、コマンドーと同じでツッコミありきの楽しみ方をするべきなんだろうな。1時間で死に至ると言われたヘビ毒も、拷問で動かなくなった脚も、なんでも秘伝の薬草で解決するのは笑った。ヒロインのイギリス人女性は親族一同爆殺されたのにエンディングでダンスしてるところとか、武器がなくとも不屈の精神があれば人々を動かせると言っていたのに結局ラストで大量の武器を持ち帰っているところとか、まぁもういまさらどうでもいいか……。

 

<<ゲーム>>

「グノーシア」

面白かった。時間がループする宇宙船の中で繰り広げられる人狼ゲーム。システムとして面白かったし、ラストに向かって世界構造と物語が絡まっていくのはゼロ年代ゲーム的リアリズムの復興という感じで僕みたいな人間には刺さった。が、いかんせん僕がこの世界観に没入できず、最後まで楽しみきることができなかった。もったいないことをした。あと5年はやく出会いたかったゲーム。

フィクションの感度

連休は体調を崩したものの、普段よりまとまった時間があったので映画や小説やゲームを鑑賞する時間をとることができた。

映画「RRR」、小説「三体(第一巻)」、ゲーム「グノーシア」を最後まで見通した。どれも世間での評判が高く僕も期待していたが、思ったよりも楽しめなかった。

それは単に僕の好みと合わなかったとか、これまでの人生経験から作品に対する要求度が高くなってしまった(つまりは舌が肥えた)とか、そういうことだと初めは考えた。

グノーシアはゲームジャンルとしてはSF系AVDで僕の好みど真ん中であり、プレイ中も「あ〜これは最高だな〜」と思っていたはずなのに、終盤につれて半ば作業的にイベントをこなすようになっていた。クライマックスの怒涛の展開も、どこか一歩離れた外側から観ているような気分だった。

クリア後、好きなゲーム実況者がグノーシアをプレイしていたのでどんな感想なのかと思って動画を観てみたら、登場人物ひとりひとりに対して感情移入しエンディングで嗚咽を漏らしていた。動画として過剰に感情表現している節はあるだろうけれど、それを差し引いてもその様子に僕は衝撃を受けた。

作品を楽しめなかったのは、その作品が僕の基準を満たさなかったのではなく僕自身の問題なのではないか。作品世界に没入し、真に楽しもうとする姿勢がなかったのではないか。いまの僕はフィクションの感度が下がっているのではないか。

おそらくそれは真実だろう。多忙と疲労、精神的・肉体的にフィクションを楽しむ余裕がないのは確かだ。あるていど自覚はあったが、如実に突きつけられて少なからずショックを受けた。

疲れているからこそ好きなことをしようと思っていた。でもそれすら楽しめないのなら、もう何もできないではないか。いや、ただただ何もせずじっと待つのが正解なんだろう。無為な時間を過ごすことを自責する癖が身についてしまったが、それも正さなければいけない。

あまり良くない兆候かもしれない。何事もなく過ぎ去ればいいのだけれど。

 

進捗月報 7月

■アウトプット

planetarywords.hatenablog.com

久しぶりに進捗月報以外の記事を書いた。

この記事は新しい書き方のアプローチを意識していて、「あえて書かない」ようにしてみた。仕事だとコミュニケーションの齟齬を最小限にするために伝えたいことは全て書くようにしているが、表現的な文章においてはそれが最善とは限らない。

突き放すような書き方を昔はできていた気がする。気がつけば説明過多になってしまった。社会人生活によって身についた文章の贅肉かもしれない。

中毒性のある文章とはなにか、ということを最近は考えている。いまのところ答えは出せていないのだが、明解な文章に中毒性がないことは確かだ。かといって難解であれば中毒性があるわけでもない。読みやすいけれど読んでもよくわからない、というバランスにどうやら目指すべき方向があるような気がする。

 

<<小説>>

まったく進んでいない。時間がないわけではなかったが、小説を書く気力が全然湧かなかった。去年長編を書いたときにものすごく苦労したのがトラウマになっているのかもしれない。苦労しない程度に書けば良いのでは、と自分でも思うのだがそれができたらそれこそ苦労しない。来月はなんとかしたい。

 

■インプット

<<旅行>>

TOBAはミジュマルに占拠されていた。香川はヤドン目的で行ったが、別にミジュマルは目当てではない

夏季休暇に一泊二日で鳥羽の温泉に行ってきた。遠出すると疲れるのでどうしても近隣県になる。これまでは岐阜によく行っていたが、今回は初めて三重に行くことにした。

息子は乗り鉄なので、初めて近鉄電車に乗ることができて興奮していた。行きはビスタカー、往路はアーバンライナーという近鉄特急に乗車した。ほんとうは観光特急の「しまかぜ」や新しい「伊勢志摩ライナー」に乗りたかったのだけれど、いずれも本数が少なく午前の早い時間か夕方にしかなかったので今回は見送った。

ビスタカーは二階建て車両になっており、今回は階上の席を使用した。重心が高いのと車両が古いのでかなり揺れるが眺めはよい。一時間半ほどで鳥羽につく。

鳥羽駅のコンビニでさっそく息子はアーバンライナーNゲージの模型を欲しがり、せっかくなので買った。旅館についても模型をずっと握りしめ、従業員の方々に誰彼構わず自慢していた。

 

www.tvh-hana.co.jp

花真珠という旅館に泊まったのだけれど、今年新設されたキッズスペースをウリにしているだけあって子連れにやさしい旅館で良かった。

キッズスペースで遊ばせているあいだに大人は交互に大浴場に行けるし、露天風呂付き部屋にしたので子どもも外風呂を楽しむことができた。食事は部屋食でなく食事処での懐石で、伊勢海老やアワビなどの地産の海鮮はもちろん美味しかった。

うまし。

部屋食だと小さい子どもは食事に集中できなかったり、かといってパブリックスペースでは他の人に迷惑をかけてしまう恐れがあるけれど、周りも子連ればかりなのでリラックスして食事ができた。食事中に従業員のお姉さんが息子に声をかけてくれたので息子も上機嫌だった(話しかけられるたびに近鉄に乗ったことを自慢していた)。

 

朝食は感染症対策のためバイキングでなく和定食。朝食も地元の海産として干物やはんぺんが出た。もちろん美味い。

うまし。

二日目は鳥羽水族館に行こうかとも思っていたが、入場料が思ったよりも高価だったし、息子も海の生き物に興味がなく早く帰りの電車に乗りたがっていたのでやめた。近鉄には鳥羽までの往復切符と水族館の入場券がセットになったプランがあり、1500円程度で入場できるので次に行くなら利用したい。

鳥羽駅には駅直結の鳥羽一番街という観光施設があり、電車の時間まで暇をつぶした。温泉街のツアー客向け土産屋の雰囲気を凝縮したような施設で、令和の時代では稀有な空気感を楽しむことができる。昭和〜平成の文化遺産として大切にしてほしい。

 

<<書籍>>

「師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常」杉本昌隆

将棋棋士藤井聡太七冠(2023年7月現在)の師匠である杉本八段のエッセイ。必殺の弟子ネタを武器にしたエッセイはどれも軽快で面白かった。

弟子が強すぎるので目立たないが杉本先生もかなりの強豪棋士。メディアでも引っ張りだこなのにエッセイを定期連載するとはまさに八面六臂というしかない。

 

他にも色々同時並行で読んでいる本多数。分厚いので読み終わるのは来月になりそうです。

 

 

No better than

息子の3歳児健診に行ってきた。

保健所には息子と同じくらいの大きさの子どもがたくさんいた。みな同じ月齢なのだから当然だ。そしてこれも当然ながら、月齢が同じでも発達度合は同じではない。

ふだん保育園で同じ年の子たちを見ても比べたりはしないのだけれど、月齢が同じということで、ついつい比較して見てしまう。大人しく座って待つことができる子もいれば、走り回っている子もいる。息子は尿検査がうまくできず不機嫌になり、はやく帰路のバスに乗りたいとぐずりだした。

月齢が同じだとしても1週間も違えば幼児にとっては大きな差となる。早産/遅産の影響もあるだろう。遺伝・生育環境の影響だって大きい。だから年齢というファクタは全てではない。

 

どうやらぼくは同じ年齢の人間同士を比較しがちなきらいがある。アーティストがどの年齢でその作品を発表したのかをよく調べる。若くして傑作を生み出した天才に対して、何も成していない自分に失望する。

たとえば村上春樹は33歳で「羊をめぐる冒険」を書いた。34歳の自分が今書いているものにどれほどの価値があるだろう、と考えてしまう。

森博嗣が33歳で書いた文章(大学の准教授としての寄稿文)を見つけた。森博嗣は39歳でデビューしたが、33歳で書いた文章もやはり森博嗣であり、当たり前ながら小説家になる前から森博嗣森博嗣だった。

息子に対しても、自分に対しても、年齢で他の人間で比較するのは無意味だということは頭でわかっている。年齢に限らず他人との比較は不幸の種にしかならない。SNSが隆盛する昨今、他人の人生を嫌でも見せつけられる。金持ちのインフルエンサー、一流企業に務めるシステムエンジニア、東京で文化的な生活を過ごす人々。うんざりしてブラウザを閉じる。それでも毒を食らうような気持ちで、無意識的にそれらを見たいという欲求がどこかにあるのかもしれない。

 

ぼくが中学生の頃に学校教育は相対評価から絶対評価になったという。だが、世の中というのは基本的に相対評価だ。入試や就職だって、志願者のなかから相対的に優れた人間を選抜する。最低限の足切り基準は絶対評価だが、それさえ満たしていれば決められた枠の中で比較評価される。人事評価だって基本的にはそうだ。限りある人件費予算のなかから分配するのだから当然だろう。

 

他人と比較しても何も幸せにならない。上を見れば際限がないし、誰かを見下して得た優越感は持続しない。それでも、比較され続ける社会生活に染まったぼくは、羨むことで苦しみ、見下すことで溜飲を下げる。

 

健診が終わって、念願だったバスに乗った息子はとても嬉しそうにしていた。地下鉄に乗り換えて家に帰る。寝る前に、今日は楽しかったと息子は言う。不機嫌だった健診のことは忘れて、大好きな乗り物にたくさん乗れたことだけを幸せそうに反芻する。

良かったね、とぼくは答える。心の底からほんとうによかったとぼくは思う。

 

進捗月報 6月

6月は肉体的にも精神的にも不調で、インプットもアウトプットもほとんどできませんでした。5月末まで仕事が多忙でその疲れを引きずったまま梅雨が到来し、参ってしまったみたいです。相変わらず低調のままですが、無理のない範囲でインプットをしています。

 

■アウトプット

ほぼありません。

 

■インプット

<<映画>>

AIR

エア・ジョーダンの開発秘話。マイケル・ジョーダンは元々ナイキ嫌いだったが、ナイキの企画者の熱意によって契約を結んだという話。面白かったし相応のカタルシスが得られたものの、(日陰社員の俺がクライアントとCEOを説得して大型契約を獲得した件について、的な)コテコテなおっさんずドリームに鼻白んだ感も否めない。

ベン・アフレックの映画って、一番いいところをベン・アフレックがさらっていくよね。

 

<<書籍>>

「1日5分で親子関係が変わる!育児が楽になる!PCITから学ぶ子育て」

育児本。今のところ夫婦で実践中。

 

村上春樹「街とその不確かな壁」

あまり楽しめなかった。

1Q84」以降の村上作品は生まれから辿るような伝記的な人物描写が多く、誰かの人生を説明するだけで紙幅の半分が費やされ、『今ここ』の出来事が少なくなったせいでダイナミズムが失われてしまった気がする。過去作のリファインという位置づけだが、目新しい要素もなく、物語の最後も尻切れトンボな印象を受けた。

進捗月報 5月

応募していた新人賞に二次選考で落選していました。応募していたのは去年書いた長編で、前の記事で別の新人賞に落選していたものです。

落選作を別の賞に使い回すことの是非については色々議論がありますが、前に応募していた賞は途中選考の過程が明かされないので、自分の作品がどれくらいのレベルなのか把握したいというのが応募した動機になります。

応募したのは集英社ノベル大賞という小説新人賞で、対象はノンジャンルのエンタメとしていますが受賞作の多くは女性向けライト文芸になります。なのでぼくの作品はカテゴリエラーの可能性が高かったのですが、希望すれば選考者による講評が頂けるとのことなので応募しました。講評はまだ届いていないのですが、落選した理由はカテゴリエラーだったからというよりはきっと作品としての質が不足していたのでしょう。

最初に応募した新人賞に落ちたときよりはショックが小さいですが、それでもやはり骨身に堪えます。応募数は2,000作ほどで、一次選考通過数は700程度なので倍率からすると一次選考に通過したからといってあまり喜べない状況です。

これを乗り越えて創作を続けられる人がプロになれるのでしょうが、やはり果てしないなと思います。

 

 

■アウトプット

<<小説>>

後述する「ストーリーメーカー」に記載された30の質問への回答を作成中で、それをもとにプロットを起こしています。主人公を誰にするかでしばらく悩んでいましたが、より質問に答えやすい(物語の骨子を作りやすい)のはどちらか?という観点で決めました。GW中は作業が進んでいたのですが、連休明けからは仕事が多忙であまり進んでいません…。

 

■インプット

 <<旅行>>

 GWに一泊二日で東京に行きました。主目的は子どものレジャーで、初日は湘南モノレール、二日目に池袋サンシャインで開催されているプラレール博に行きました。

図書館で借りたこの絵本を子どもが気に入っており、ならば実物に乗ってみようということで東京から大船まで引き返して湘南モノレールに乗りました。湘南〜鎌倉は何度か行っていますがモノレールに乗ったのは初めてで、そのスピードと揺れはもはやアトラクションでした。乗っていて楽しかったし子どもも楽しんでいました。

本や図鑑で興味を持ったものはなるべく実物を見せてあげるように努力しています。好奇心を伸ばそうという教育的な下心もありますが、ぼく自身子どもの時代に実物を見るのが好きだったし、いまも「聖地巡礼」的な観光が好きだからです。

 

湘南モノレールに乗る息子とわたし

宿は五反田のシティホテルに泊まりました。五反田のことははあまり知らなかったのですが、飲み屋街で風俗店も多く、ファミリー向けではなかったです。ジョナサンで夕食をとって、早々に寝ました。せっかく東京に来たのだから有名なラーメン店に行こうと妻と話していましたが、実際にはそんな体力は残っていませんでした。

二日目はプラレール博へ。大ジオラマや、プラレールあみだくじなどを楽しみました。

幼い頃に色々経験させたことは記憶に残らないとしても心の糧になる、ということをなにかで読みました。そうなってくれれば良いなとは思いますが、子どもの趣味嗜好に付き合うことで、いままでの自分では絶対に興味を持つことがなかった体験を得るのが単純に楽しいです。子どもの成長というのは偶然性に満ち満ちたものであり、その偶然性に巻き込まれることで新しい発見がたくさんあります。

 

 <<書籍>>

チェリー・ガラード「世界最悪の旅」

資料として読みましたが、凄まじかった。

世界で最初に南極点に到達したのはアムンゼンですが、この本の著者はアムンゼンに遅れること1ヶ月、世界で2番目に南極点にたどり着いたロバート・スコットの探検隊のメンバーのひとりです。世界最悪の旅と銘打たれる通り、スコット隊の道中は散々でした。移動手段として持ち込んだ愛馬を殺して食料にし、悪天候のなか徒歩で橇を引いて、ようやくたどり着いた南極点には先行者であるアムンセンの痕跡があった...。その失望のさなか、帰路で食糧不足と凍傷に苦しみ仲間が次々と命を落としていき、やがて隊は全滅します。

そんな悲劇を経ても、なお冒険の素晴らしさを説く本書は心に打たれるものがあります。

 

長沼毅「生命の起源を宇宙に求めて」

こちらも資料として。原初の地球生命は地球上で誕生したのではなく、地球以外の環境からもたらされたというパンスペルミア説について検証しています。面白かった。

 

大塚英志「ストーリーメーカー 創作のための物語論

大学生のころに同じ著者の「キャラクター小説の作り方」を読んでいたので、おおよその内容は既知でしたが、本書のほうがより実践的でした。現在はこれを用いてプロットを制作中です。

 

 <<ゲーム>>

ポケットモンスター バイオレット」

発売日に買ったはずなのにようやくクリア。オープンワールドでシナリオも3ルートを好きな順で進めることができ自由度が高く、冒険している感覚が楽しめました。グラフィックがPS2レベルなことと処理落ちが気になる以外は、文句なしのゲーム。グラフィックの綺麗さは別のゲームに求めるべきなのかもしれない。

 

 <<映像>>

「ぼっち・ざ・ろっく!」

アニメにハマるのは何年ぶりだろうか、思い出せる限りでは「ODD TAXI」(2021)が最後なので約2年ぶりにアニメシリーズを全部見通しました。いわゆる萌えアニメとなると、5年以上見ていないはず。

邦ロックの実力派たちが楽曲制作を手掛けていたりとか作画が良かったりとか、このアニメの長所はいくらでも思いつくけれど、ぼくに刺さったのは「バンドマンあるある」ネタとアニメならではのカタルシスのバランスが絶妙だったことが挙げられます。

たとえばライブのチケットノルマに四苦八苦するというのはバンドマンあるあるだけど、即興演奏の路上ライブを通して主人公が成長するだけでなくライブに見に来てくれるファンも得るというのは現実離れしたファンタジーです。こうしたファンタジーとリアリティのバランスが巧妙に配置されていて、いかにもなアニメキャラのやりとりにも白々しくならずに没入することができました。リアルとリアリティの違いを改めて実感。

 

ルパン三世 カリオストロの城

言わずとしれた名作で何度も見ているけど何度見ても面白い。全シーンが名シーンで、全セリフが名セリフで、なんかもうびっくりした。常に面白いんだもん。

 

 

色々と見たい映画や読みたい本はあるのですが、なかなか時間が取れず。いままでは深夜帯にプライベートな作業をしていましたが、最近は子どもと一緒に22時前に眠ってしまうことも多いので自由な時間が少なくなりました。やはり選択と集中をしていかないといけないなと思います。

...はたして、このブログを書いている時間は「選択」の対象にすべきか自分でも考えてしまいますが。