惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

フィクションの感度

連休は体調を崩したものの、普段よりまとまった時間があったので映画や小説やゲームを鑑賞する時間をとることができた。

映画「RRR」、小説「三体(第一巻)」、ゲーム「グノーシア」を最後まで見通した。どれも世間での評判が高く僕も期待していたが、思ったよりも楽しめなかった。

それは単に僕の好みと合わなかったとか、これまでの人生経験から作品に対する要求度が高くなってしまった(つまりは舌が肥えた)とか、そういうことだと初めは考えた。

グノーシアはゲームジャンルとしてはSF系AVDで僕の好みど真ん中であり、プレイ中も「あ〜これは最高だな〜」と思っていたはずなのに、終盤につれて半ば作業的にイベントをこなすようになっていた。クライマックスの怒涛の展開も、どこか一歩離れた外側から観ているような気分だった。

クリア後、好きなゲーム実況者がグノーシアをプレイしていたのでどんな感想なのかと思って動画を観てみたら、登場人物ひとりひとりに対して感情移入しエンディングで嗚咽を漏らしていた。動画として過剰に感情表現している節はあるだろうけれど、それを差し引いてもその様子に僕は衝撃を受けた。

作品を楽しめなかったのは、その作品が僕の基準を満たさなかったのではなく僕自身の問題なのではないか。作品世界に没入し、真に楽しもうとする姿勢がなかったのではないか。いまの僕はフィクションの感度が下がっているのではないか。

おそらくそれは真実だろう。多忙と疲労、精神的・肉体的にフィクションを楽しむ余裕がないのは確かだ。あるていど自覚はあったが、如実に突きつけられて少なからずショックを受けた。

疲れているからこそ好きなことをしようと思っていた。でもそれすら楽しめないのなら、もう何もできないではないか。いや、ただただ何もせずじっと待つのが正解なんだろう。無為な時間を過ごすことを自責する癖が身についてしまったが、それも正さなければいけない。

あまり良くない兆候かもしれない。何事もなく過ぎ去ればいいのだけれど。