惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 十日目「人の名前かと思っていた」

 

 火曜日。昨夜の雷のせいかネットが使えなくなっていた。

 今日の朝食は研究所の食堂で食べることになっていた。昨日、エルネストが「申請をすると食堂なら朝食がタダになるんだ。俺が申請しておくよ」と話していたのである。
 だが、実際に食堂に行ってみると、きちんと食事代を請求された。三十七ペソなので二百円くらい。メヒカーナというトマトと卵を炒めたシンプルな料理を食す。味はいつものカフェのほうが良い。

 今日はほとんど仕事をしなかった。僕のパソコンでは実験に使うプログラムがコンパイルできないせいである。なので既存のプログラムのデバッグをしていた。

 昼過ぎ頃に観測装置の治具を作るためにブラックスミスが来た。僕はこのブラックスミスというのは『ブラック・スミス』という人名だと思っていたのだが、もともとは鍛冶屋を意味する言葉で金属加工業を営む人の総称のことだった。確かに、ミリタリー系のゲームなどにガンスミスという役職が出てきたりするが、それの何でも屋的なものらしい。ブラックスミスは三十代くらいのメガネをかけた痩せたメキシコ人で、若い助手を連れてきていた。その助手がやたらと僕のほうをちらちらと見るので困惑する。理由は分からない。

 昼食は再び食堂に行き、ジャガイモとズッキーニが入ったコンソメスープとピラフとほうれん草を鶏肉で包んだもののトマト煮を食べる。スープは薄味だ。メキシコで薄味の食べ物は初めてなのではないか。メキシコ人にとっては健康食のようなものなのかもしれない。エルネストたちは特に何の感想もなさそうに食べていたが。

 昼食後も仕事をしているんだかしていないんだか分からないような感じで早々にホテルから帰った。

 ホテルに帰るとネットが復活しており、日本の大学事務から「大学構内に猿が出現したので気をつけるように」という旨のメールが届いていた。

 僕の通う大学は住宅街の中に存在しているが、農学部の方は深い森に面している。そのためタヌキやイタチなどの野生動物が出没することはよくあるけれど、猿は初めてである。本当に街中にある大学だろうか。それにしても、こちらはアサルトライフル武装するような国で生活しているというのに、日本は呑気そうで羨ましい。

 夕食は広場に面したステーキ屋へ行く。薄暗い店内はそれなりに雰囲気があるが、フィレステーキはおよそ六百円と非常にリーズナブルである。しかも味も良かった。日本で同じものを食べようと思ったら三千円くらいはしそうである。ビールのお供にモデロ・ビールを飲む。最高である。

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広場にはいくつもレストランが同じ建物の中に連なっており、テラスにテーブルが置かれている。



メキシコ旅行記 九日目「オノマトペ日本人」

 

 月曜日。今日からまた研究所に通う日々になる。朝はいつものカフェで、源氏パイを巨大にしたようなパイを食べる。どの国でも似たような食べ物があるものだと感心する。

 バス乗り場へと行く途中、装甲車へ乗り込む警察部隊を目にした。彼らはアサルトライフルを斜めに下げていた。こんな田舎町で本格的な武装を目にするとは思っていなかったのでショックだった。アサルトライフルなんて映画の中でしか見たことがなかった。それはまるで冗談みたいに本物だった。モデルガンショップに並んでいるものと見た目は変わらないのに、それは容易に人を殺すことができる。

 平和の基準は国によって違う、と改めて思う。この街では民家の窓には必ず鉄格子が嵌められている。僕は背中を丸め、街を歩く速度を上げた。
 

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この街の通りに面した窓には必ず鉄格子が嵌められている。

 研究の仕事は新しい局面を迎えていた。プログラムを組んでソフトウェア的に進めるフェイズは終わり、次のフェイズに進むためのハードウェアを準備する必要があった。
 つまり、我々の研究計画はこういうことになっていた。まずは小さな実験規模で試運転し、プログラムの正常性などを確かめた後、本番の観測を行うためにハードウェアを拡張する。実験装置はまだその一部のみしか稼働しておらず、配線も行っていなかった。これから全部を稼働させようというのだ。

 ハードウェアを稼働させるといっても、基本的な資材が不足していた。たとえば接着剤やサンドペーパーといったものである。もちろん現地のホームセンターで買えるのだが、メキシコメンバーにお遣いを頼むことになる。

 もっと目の細かいサンドペーパーを用意してくれと指示を出したかったのだが、英語でどう表現すればいいのか分からなかった僕は、
「つるつる! ざらざら!」
 などと擬音語を連発しメキシコメンバーたちを困惑させた。しかしなんとなく伝わったから凄い(凄いのはメキシコ人たちの読解力である)。


 昼休みに暇を持て余したので、特に意味もなくピッチングフォームの練習をしていたら、
「野球をするのか?」とエルネストが僕に尋ねた。
「ああ、ジュニアハイスクール時代は野球チームに入っていた」
 僕は答えた。嘘である。僕はよく意味のない嘘をつく。

 

 そんなたわいのない会話をしていたら結構メキシコメンバーたちと打ち解けることができた。彼らがスペイン語で何か怪しげな会話をしてニヤニヤしたかと思うと、僕にこっそりと耳打ちして、
「メキシコの女の子のことをどう思う?」と尋ねた。
 僕は率直に「みんな結構可愛いけれど、太り過ぎじゃないか」と答えた。僕の答えにエルネストたちは爆笑していた。


 昼食は食堂でアボガドにポテトサラダを詰めたものを食す。メキシコに来て初めてマヨネーズで味付けされた食べ物に出会ったかもしれない。まあ普通に想像通りの味なのだけれど、物足りなくてサルサをかけて食べた。完全に味覚が侵されてしまっている。


 仕事の後はコンテナハウスの居酒屋へ行くことになった。しかし、月曜だからか時間が早いからか分からないがほとんど営業していなかった。適当な店に入りビールを飲む。
 メキシコのビールは安い。酒税が安いのだろうか、だいたい百二十円くらいで飲める。
 コロナビールは日本でもポピュラーだけれど、こちらでも飲まれてはいるが安物のイメージがある。こちらでいう発泡酒みたいな感覚だろうか。ライムを添えて軽く飲むような感じのもので、メキシコで一般的に飲まれているビールはもっとヘヴィなものが多い。僕がよく飲んだのはヴィクトリアやモデロ、レオンといった黒ビールだ。いちおうアサヒビールも見かけた。だが、ビールというのはその国のものをその場で飲むのが一番美味しい。僕は中でもモデロが一番好きで、日本では中々飲めないのが残念である。

 相変わらずメキシコ人はつまみをほとんど食べないので、ポテトチップスにサルサをかけたものだけでビールを5本飲んだ。例のごとくサルサは二種類置かれており、そのひとつをエルネストが舐めると顔を顰めた。
「これは辛すぎる! 君たちは食べないほうがいいぜ」

 その言葉に従いもう一方のサルサをかけたが、こちらもとても辛かった。メキシコに来てから一番辛かった。この店のサルサが異常なのだろう。全く味覚に関しては油断ならない国である。

 ホテルに帰ると雨がひどく降ってきた。雷も響いている。だがそのおかげで、毎晩深夜までうるさかった夜の街の喧騒と花火(あるいは銃声)の破裂音が聞こえなかったのでゆっくり眠ることができた。

メキシコ旅行記 七日目「ふたつの教会とチョコチップクッキー」

 

 土曜日である。

 朝までオースターを読んでいて腹が減っていたので、朝食は普通に食べることが出来た。いつものカフェではなく、ホテルのレストランで朝食をとることにする。トルティーヤをトマトソースでくたくたになるまで煮込み、その上に焼いた牛肉を乗せた料理を食す。美味しいが、いつものカフェよりは値段が高い。

 

 休日ということで研究はお休みである。これまでは日中教授と先輩と一緒に行動していたが、各自自由に過ごすことになる。チョルーラの街の近辺を散歩することにする。

 まずは街のカテドラルへと足を運んだ。前に行ったサン・ペドロ教会ほどではないにせよ、こちらもかなり大きい。中に入るとサン・ペドロ教会よりも天井が高く、印象としては広く感じる。装飾も綺麗である。早朝の教会には誰もいなかったので写真を撮っていたら、地元の中年男性が自転車で教会の建物の中に入ってきて驚いた。

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街の大聖堂の内部。繊細な装飾が施されている。

 教会のマナーというのはよくわからないのだが、礼拝の時間以外なら自由に出入りしても良いようだ(勿論、不必要に騒がしくしないというのは最低限の常識であるが)。

 いつもホテルから広場の方にしか行かないので、裏手の方へと回ってみることにした。2ブロックほど歩くと車の通りが多い国道に出る。目の前を過ぎていく車の速度が速すぎるせいか、車道の幅が広く感じる。その国道を黄色いバスが頻繁に通っていく。どうやらあのバスに乗ればプエブラの中心地に行くことができるらしい。とはいえ本当にそうなのか分からないので今は乗らないでおく。

 

 昼食は一旦教授たちと合流し、広場の一角にある中華料理屋に行くことにした。
 メキシコに一週間もいると、そろそろメキシコ料理の味に飽きてくる。海外に長期滞在した人は、日本食の味が恋しくなるよと口を揃えて言う。そんなものかと僕もインスタントの味噌汁を持ち込んでいたが、お湯が沸かせないので結局食べなかった。
 日本食が恋しくなったわけではないけれど、メキシコ料理の味付けにたいして退屈はしていた。メキシコに着いてしばらくはまともに食べられなかった僕がそうなのだから、教授や先輩はなおさらだろう。

 メキシコ料理は世界の料理の中でもバリエーションが豊富だけれど、この街ではだいたいがサルサかトマトソースの味のものばかりなので、そろそろ別の味付けの料理が食べたくなった。そんなわけで中華料理屋を訪れたのである。

 中華料理屋は広場の目立たない場所にあり、外から見ても薄暗かった。美味しい料理が出てくるような店構えではないな、と直感する。そもそも観光地のど真ん中に中華料理屋があっても、地元の人間しか行こうと思わないだろう。たとえば、北海道でイタリアンを食べる観光客がいるだろうか?

 ビッフェ形式で好きな料理を皿に乗せ、会計をするスタイルだった。店員はアジア系ではなくメキシコ人である。

 僕は焼きそば(のようなもの)と野菜炒め(と思われるもの)と肉じゃが(に近しいもの)を食べた。味についての詳細な言及は避けたい。

 決して不味くはない。ただ、日本でこの味の料理を出すのは許されないだろうなというレベルである。しかし、メキシコ料理ではない味が食べたかった我々としてはそれなりに満足した。

 

 昼食を食べた後は再び解散し、自由に行動することになった。

 いつも研究所に行くときに使っているバスに乗ってトナンツィントラの方へと行ってみることにした。

 トナンツィントラは研究所の先にある観光地であり、小さいが一応『地球の歩き方』にも紹介されている。トナンツィントラ自体は街の中心から外れているのだが、トナンツィントラにはサンタマリア・トナンツィントラとサンフランシスコ・アカテペックという有名な教会がふたつある。

 まずはサンタマリア・トナンツィントラへ。正面の壁はブラウンに白のドットが打たれており、サイドはクリーム色に塗られている。まるでレゴブロックで出来たおもちゃの教会のようである。

 この教会の見どころは内部の装飾である。蔦やカカオなどの農作物をモチーフとした細密な金装飾の彫刻が壁一面だけでなく天井に至るまで、教会の内面を覆い尽くしている。荘厳とかそういう言葉よりも、なにかの生き物の内部を想起してしまう。よく見ると植物だけでなく人の顔も無数に彫られており、不気味ささえ覚えてしまう。先住民族たちの土着的な美意識が現れたものらしいのだが、ヨーロッパ的な美術とは一線を画していて、こう言ってしまうと不適切かもしれないがある種呪術的とも思えるような妖しさを感じてしまう。

 この内部装飾は二百人もの先住民族の職人たちが2世紀という年月を費やして作り上げたものだという。呪術的というよりは執念じみているのかもしれない。いずれにせよ、じっと見ていると飲み込まれるような眩暈を覚えるような空間である。

 もうひとつのサンフランシスコ・アカテペックは、サンタマリア・トナンツィントラとは対照的な意匠をしている。サンタマリア・トナンツィントラは外見はシンプルで内部が緻密だったが、サンフランシスコ・アカテペックは外面が特徴的である。壁一面に目にも鮮やかなカラフルなタイルで緻密な紋様が描かれている。その色使いを見ているだけで楽しい。装飾への執念で言えばこちらも決して負けてはいないだろう。内部も一応金装飾が施されているが、天井部分のみに留まっている。なんとなく節度があって僕としてはこちらのほうが好きだった。

 休みの日だったからか、教会の中では神父様による説教が行われていた。どうすればいいのか分からなかったのでそのまま席に座って内部装飾を眺めていたのだが、途中で席を立って良いのかどうかも分からなかった。隣に座っていた欧米人が席を立ったので、便乗して外へ出たのだが、異宗教施設を見学するときの勝手というのは難しい。観光地化されているから、向こうも割り切っているのかもしれないけれど。

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トナンツィントラの路地。観光名所の教会以外は寂れた田舎町である。なぜか教会の写真を一枚も撮っていなかったので、気になる方はトナンツィントラで検索してください。

 一通り見て、バスに乗ってホテルに帰ってくると疲れて眠ってしまい、また夕食を食べ逃してしまった。コンビニで買ったチョコチップクッキーを齧って飢えを凌ぐ。このクッキーの味はミスターイトウのチョコチップクッキーと全く同じです。だからどうしたってことではないのだけれど、そういうどうでも良いことが意外と後になって記憶に残っていたりする。

メキシコ旅行記 八日目「ピラミッドの血塗られた歴史」

 

 日曜日である。今日も研究は休み。朝五時に起床。ようやくまともな時間(?)に目を覚ますことができた。


 朝食はいつものカフェではなくホテルの近くにある別のカフェに行ってみた。そこでモレ・ポブラーノを食す。モレはソースの意、ポブラーノは『プエブラの』という意味を示し、その名の通りプエブラの名物料理である。

 モレ・ポブラーノは鶏胸肉をソースで煮込んだものなのだが、そのソースが特徴的で、チョコレートを使用しているのだ。

 見た目はまさにチョコレートのブラウン色で、他にもゴマ、アーモンド、トマト、トウガラシ、シナモン、クローブなどが入っている。チョコレートの甘さの中に、各種スパイスの風味が確かな存在感を示している。人によって好みが分かれるようで、僕はプエブラ料理の中では最も美味しいと思ったが、他の日本人メンバーたちはイマイチのようだ。とにかくプエブラに来たら食べる価値のある一品なのは間違いない。なんとなく甘辛い味付けは名古屋料理の味に似てなくもない。

 

 いつものカフェと違う店に来たが、コーヒーの味はやはり薄い。メキシコのコーヒーは薄いのだろうか? メキシコだがアメリカン・コーヒーというのはこれ如何に。ちなみにアメリカン・コーヒーは和製英語なのでアメリカには存在しません。ご注意を。
 研究所には行かなかったが、金曜日の実験が上手く進まなかったのでホテルでプログラムを書き直すことにした。十時くらいまでプログラムを修正し、昼まで仮眠を取った。仮眠後はきちんと昼に目を覚ますことが出来た。生活リズムがまともになってきて嬉しい。


 昼飯はタコス屋へ行く。広場から少し外れた通りにある店で、コンクリートの壁に囲まれた中庭に案内された。ここで食べたタコスは日本で食べるものに近い代物だった。ふつうトルティーヤは生の柔らかいままで食べられることが一般的だけど、この店では鉄板で焼かれていて香ばしくパリッとした食感になっている。中に包むのはTボーンステーキと焼いた葉玉ねぎである。これに、これでもかというくらいのサルサをかけて食べる。トルティーヤに巻くのに骨付きの肉なのはどうかと思うが、味は美味しい。日本で想像されるようないかにもなメキシコ料理である。どんな料理にもサルサを掛けることに抵抗がなくなりつつある。確実に味覚がメキシコナイズされている。


 昼食後はプエブラの中心地へ行こうと国道沿いのバス乗り場へ向かった。五分おきくらいで次々とバスが来るが、どれに乗ればプエブラの方角へ行くのか分からない。バスの正面に行き先が表示されているのだが、プエブラと書いてあっても他の場所が併記されていて最終的な目的地が分からない。

 ええいままよ、と死語を唱えてバスに乗り込んだものの、明らかに違う方角へ向かい始めたので慌てて降りた。もしかしたら最終的にはプエブラにたどり着けるかもしれないが、とんでもない場所で降ろされたら帰ることもままならない。

 良い大人なのだから知らない場所で降ろされたって大丈夫だろう、と思われるかもしれないけれど、もし治安の良くない場所に着いてしまったら命に関わる問題である。ちょっと街の中心から外れると、誇張でなく空気が変わるのだ。家々の見た目や街を歩く男たちの表情が街の中心のそれとは明らかに異なっている。ひりひりとした雰囲気が肌から伝わってくるのだ。


 そんなわけでこの日にプエブラの街に行くのは諦めた。エルネストにどのバスに乗れば良いのか訊いてからでも遅くないだろう。

 バスで降ろされた街の外れからホテルに戻るまで結構掛かってしまい、ホテルに戻ったのは午後三時だった。まだ陽は高いのでピラミッドに行くことにした。


 チョルーラの街と言えばピラミッドである。といってもほとんど現存しておらず、小高い丘の裾野にその名残がある限りである。丘の頂上にはスペインの征服者によって建立されたレメディオス教会がある。チョルーラの街のどこからでも教会の姿を見ることができる。レメディオスといえば『百年の孤独』のベッドシーツと一緒に風に吹かれて天に召された少女と同じ名だが関係はない。


 チョルーラのピラミッドには血塗られた歴史がある。

 スペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスはメキシコの先住民族たちのアステカ文明を征服した。コルテスの功績を記した書物の中にはチョルーラの名前が必ず出てくる。

 コルテスはアステカ文明を征服する過程でチョルーラに住む先住民族を三千人以上虐殺した。

 当時のチョルーラの人口が三万人ほどだというから、1割以上の人間殺したということになる。チョルーラの先住民族はスペイン人に対し無抵抗であり、ただただ一方的に命を奪われた。

 コルテスはアステカ文明に対して全く理解を示さなかったという。むしろ忌むべきものとして軽蔑してさえいた。彼はアステカ文明を破壊し尽くし、チョルーラのピラミッドも破壊した。コルテスはスペインでは紙幣になるほどの英雄だけれど、彼がこの街を血で染めたこともまた事実である。

 コルテスはアステカ文明を軽蔑していたが、同時にまた恐れてもいた。このチョルーラの街にたくさんの教会があるのは、アステカの神々を鎮めるためだと言われている。

 この小さい街も壮大な世界史の一部に織り込まれているのだ。

 

 ピラミッドの跡地の丘の高さはそれなりにあって、坂を登り終えて教会にたどり着いたときには息が少し切れてしまった。そうでなくてもこの街は標高が高く空気が薄い。頂上からはチョルーラの街が一望できる。カラフルに彩られた家々を上から眺めるのは中々に壮観だ。

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ピラミッドの跡地にそびえ立つレメディオス教会。観光客が列をなして登っている。

 丘の上に立つ教会はこれまでに行った教会とは明らかに雰囲気が異なっていた。あの呪術的な土着の匂いがないのだ。内部には金装飾が施されているものの、その意匠は西洋式に限りなく近い。

 冷静に考えればそれは当たり前のことかもしれない。アステカ文明を滅ぼしたスペインが、自国の征服を示すために立てているのだから。そういう意味ではこの教会は街の生活とは切り離されているのだ。中にいるのは観光客ばかりで、アメリカ人と思われる白人が多い。僕もまた観光に来た外国人の一人なのだ。アジア人は僕以外いなかったけれど。

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メディオス教会の正面入口。整っていて文明的な印象を受ける。

 丘を下りて遺跡の方へ回るとそれらしい入り口があったので通ろうとしたらところ警備員に呼び止められた。
「そこから入るのではなくて、あっちから入ってくれ」

 警備員は英語でそう言った。

 街の人間から英語で話しかけられたのは初めてだったので、なぜか感動に近い気持ちを抱いてしまった。この一週間、研究メンバー以外のメキシコ人と英語で会話していないのだ(ホテルのコンシェルジュは除く)。コミュニケーションに飢えている自分に気付く。警備員ともっと会話したかったが忙しそうだったのでその場を去った。

 遺跡はとても素晴らしかった。入植時にスペイン人に破壊されてしまったので、ごくごく一部しか残っていなかったけれど、それでも感動を覚える。ピラミッドというとエジプトのピラミッドを想像するけれど、こちらは火山岩を加工して作られているため見た目の印象が大きく違う。墓というよりは神殿のイメージに近い。階段の前には白く滑らかな岩で作られた石碑があり、その横には直径1メートルほどの球形をした石像が置かれていた。石像には顔が彫られていて、まるでダルマのようである。石碑は「ワンダと巨像」のセーブポイントを彷彿とさせた(ゲーム脳ですみません)。

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何の意匠かわからない石像。虚ろな目でこちらを見つめているようにも思える。

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跪いて祈ればセーブできそうな石碑。

 ピラミッドの一部は修復されており実際に登ることができるのだが、とても急な角度だったので降りる時が怖かった。この修復された階段は、あまりにも人工的すぎる(現代的に修復されすぎている)と地元民からは不評のようである。名古屋城だって中にエレベータがあるくらいだし、僕なんかはまぁそんなものじゃないのと思ってしまうのだけど。

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修復されたピラミッドの階段。手すりもなく、怪我人が続出しそうな勾配である。

 それにしても、ひとつの文明が滅ぼされて、その宗教的シンボルの上に侵略者の宗教施設が据えられているというのは、人類の侵略史の縮図ではないかと思う。

 ホテルに戻っても、窓から見えるピラミッドの上の教会を眺め、そんな世界の歴史に思いを馳せた。

 

メキシコ旅行記 六日目「トラディショナル食堂」

 この日の仕事はとてもしんどかった。これまで順調だった実験に暗雲が立ち込め始めている。難しい局面を迎え、憂鬱な気持ちになる。

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作業をする筆者。ひどい猫背である。

 一方、体調の方は良くなっていた。食欲がだいぶ回復し、朝食にモーニングセットの干し肉を焼いたものを食した。昼食に食堂に行くと、得体の知れない物体が本日のメニューとしてディスプレイに置かれていた。

「これは一体なに?」と僕が尋ねると

「こいつはメキシコのトラディショナルな食べ物だ」とエルネストは答えた。エルネストに食べ物のことを尋ねると、だいたいいつもトラディショナルだと言われているような気がする。

 得体の知れない何かの正体はチレス・エン・ノガダと呼ばれる代表的なプエブラ料理だった。ピーマンにも似た大きな緑唐辛子に挽肉を詰め、クリームソースを掛けてくるみとザクロの種をトッピングした料理である。白・緑・赤のカラフルな色合いはメキシコの国旗をイメージしているらしい。味付けは甘く(!)、緑唐辛子の辛味と苦味、ザクロの酸味と甘みが挽肉の味と不思議なマッチングを果たしている。美味しいが、たぶん本当にもっと美味しい料理なんだろうな、と思ってしまった。所詮は研究所の食堂なので、素材の限界を感じてしまった。

 結局、ここ以外でこの料理を食べることがなかったので惜しいことをした。日本ではプエブラ料理は食べられない。日本に帰ってからメキシコ料理の店を探したけれど、タコスやワカモレくらいしか出さない料理屋ばかりで残念だ。メキシコにはもっと美味しい物があることが周知されるとよいのだけれど、やはり地理的に遠い国だと伝わらないのかもしれない。

「こいつもトラディショナルなフードだぜ」
 エルネストはそう言ってデザートを差し出した。この食堂にはトラディショナルなものしか出ないのだろうか。だとしたら外国人に優しい食堂である。
 デザートはポン菓子にチョコレートソースを掛けたものだった。米は食べないのに米菓子はあるというのは意外である。味は想像通りというか見た目通りというか、ポン菓子にチョコレートを掛けた味だった。


 昼食後もハードに働いて、ホテルに帰ったのは19時近くになってしまった。20時に夕食を食べに行く約束だったが、部屋に戻ると猛烈な眠気に襲われて午前2時まで眠ってしまい、また食べそびれてしまった。中々生活リズムというのは矯正できないものらしい。
 朝まで寝直すことも出来ないので洗濯した。メキシコに来てからは日本から持ち込んだ粉洗剤を使い、洗面所で洗濯をしていた。ホテルの部屋にはベランダがないので、部屋干しするしかない。メキシコはとても湿度が低いので部屋干しでもすぐに乾いてしまう。

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洗濯を行ったホテルの洗面所。可愛らしいタラベラ焼きのタイルで彩られている。


 洗濯は一時間ほどで終わってしまった。結局朝まで本を読むことにした。メキシコに持ち込んでいたのはドストエフスキーの『白痴』、中原中也の詩集と、ポール・オースターの『孤独の発明』、ボードレールの『悪の華』。詩集が多いのは文字としての日本語に触れたくなるだろうと思ったからである。『白痴』は読み終えていたのでオースターを読むことにする。

 オースターは最初に読んだ『幻影の書』が面白かったが『ムーン・パレス』はまあまあで、この『孤独の発明』も特別に面白いわけではないのだけれど、オースターの不思議な文章の魅力で読ませてしまう。どんな話だったかというと思い出せないのだけれど。


 旅行に持ってくる本というのは何が適しているのか、いつも悩むところではある。だいたい僕はそのチョイスが上手くないのではないかと思う。少なくとも機内にドストエフスキーを持ち込むくらいには上手くない。そこにきてオースターというのは、旅行先でも軽く読めてしまうので悪くないのではないかと思う。

 メキシコで読む中原中也の詩集というのも中々悪くないもので、メキシコのような日本から遠く離れた場所で日本語に触れる機会が少ないと一種の渇望状態に陥るのだけれど、中也の言葉が染み入るように響く。皆さんもメキシコに行くときは中原中也の詩集を持っていくと良いですよ。真似る人はいないかもしれないけれど。

 

九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるように
またそれは、凭っかかられるもののように
彼女は頸をかしげるのでした
私と話している時に。

私は炬燵にあたっていました
彼女は畳に坐っていました
冬の日の、珍しくよい天気の午前
私の室には、陽がいっぱいでした
彼女が頸かしげる
彼女の耳朶陽に透きました。

 

中原中也「羊の歌」

 

メキシコ旅行記 五日目「メキシコについて僕らが抱くイメージ」

 

 メキシコに対して抱くイメージと言えば麻薬とそれを取り仕切るマフィアの存在が大きいだろう。警察がマフィアに乗っ取られただとか、マフィアが軍よりもはるかに高性能な重火器を備えているだとか、見せしめに惨殺死体が道端に転がっていただとか、そういった話を日本にいるときによく聞いていたので、メキシコというのはよっぽど治安が悪いのだろうと思っていた。

 しかし、このチョルーラという街はとても平和である。明らかにそのスジの人間は見なかったし、夜中にジャージで出歩いても危険はなかった。

 危険なのはアメリカとの国境沿いの地方で、実際にマフィアが支配しているような街もあるという。
「メキシカンマフィアに比べたら日本のヤクザなんて赤ん坊みたいなものさ」
 とエルネストは言う。

 メキシコの麻薬抗争を描いた『ボーダ・ライン』という映画がある。メキシコ国境の最も危険な街フアレスへ異動になった新任のFBI捜査官の主人公は、着任早々に高速道路の高架に吊るし上げられた複数の死体を目にする。それは敵対する麻薬カルテルが見せしめのために行ったものだった。そしてそれは映画の中の誇張された出来事ではなく、同じような現実がこの国では日常として存在するのだ。

 

 エルネストは一度日本に来たことがあると話した。僕らの大学の研究室に短期留学のような形で来ていたという。研究室にいるコンさんという韓国人留学生の女の子は元気かとしきりに気にしていた。
「コンさんはとても可愛い」
 趣味でプロレスをやっているという厳つい男は少し顔を赤らめながら言う。

 メキシコのプロレスといえば、ルチャ・リブレのことである。日本の物理学科の学生は皆ひょろひょろの貧相な体をしている人間が多いけれど、エルネストはかなりがっちりとした肉体をしていて、いかにもレスラー然としている。そんな男が遠い島国の留学生の女の子のことを覚えているというのも、なんとなく微笑ましく思える。

 僕の組んだプログラムで実験装置を動かし、無事にデータを取得できることを確認した。僕がメキシコに来た責務はこれでほぼ果たせたと言って良い。余裕ができたので研究所内を散歩してみた。

 研究所の敷地は2、30分もあれば一周できるくらいの広さで、緑が多く静かなところである。いたるところに巨大な松の木が生えていて、僕の足の大きさと同じくらいの松ぼっくりが落ちている。そして背の高さよりも巨大なサボテンが生えている。

 

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研究所内は緑も多く石畳や刈り揃えられた芝生で整備されている。

 サボテンは研究所内に限らず街のいたるところに生えている。サボテンだけでなく、厳密にはサボテンではない多肉植物であるリュウゼツランと呼ばれるものが半数くらい生えている。メキシコではマゲイと呼ばれ、テキーラの原材料となる。見た目はアロエに近いが、はるかに肉厚である。

 僕がメキシコに対して抱いていたイメージは、前にも述べたようなマフィア以外には荒野にサボテンが生えている街並みを想像していた。街には確かにサボテンはたくさん生えているけれども、荒野ではなく道路はきちんと舗装されているし、トウモロコシ畑が点在して緑に満ちている。収穫されたトウモロコシは粉に轢かれ、トルティーヤの原料となるのだ。

 この日の作業は15時には終わって街へ帰ってきた。体調も良かったので街を散歩する。ホテルから街の広場へ出て、街で一番大きな教会へ行く。

 チョルーラは小さい街の中に三十を超える数の教会があるが、このサン・ペドロ教会は街の中心地に位置しており、規模も最も巨大である。メキシコの教会は、侵略者であるスペインの文化が先住民族の土着文化と混ざり合った独特なバロック様式をしている。サン・ペドロ教会の壁は鮮やかなオレンジ色で塗られており、広場の壁の色との調和が見事だ。

 壁に囲まれた教会の敷地に入ると、教会の建物は確かにそれなりに大きいけれど、敷地のほとんどは空き地になっていた。建物の入り口に案内板があり、「メキシコ最古の教会」と英語で書かれていた。

 教会の中に入ってみると、外面の大仰な見た目に対して、案外内装は簡素でがらんとしている。しかし、よく目を凝らすと細部に金装飾がなされているのが分かる。平日の夕方だったが聖書を片手に熱心に跪いている人もちらほらいる。隣の建物も礼拝堂になっているが、こちらは観光客向けといった感じで中にはキーホルダーやタペストリーなどを売る土産屋がある。

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チョルーラの中心にあるサン・ペドロ教会。どことなく古城を思わせる。

 一通り教会を見終えて外に出ると雨が降っていた。標高が高いせいか、この街ではよく通り雨が降る。降らない日のほうが珍しいくらいだ。少し雨宿りをしてから、コンビニ(チェーンの店ではなく個人経営のコンビニエンスストア)に寄って菓子パンを買って帰った。

 ホテルに帰って少し休んでいたら思っていたよりも長く眠ってしまい、また夕食を食べ損なってしまった。教授と先輩はいつも一緒に夕食を食べに行っているようだが、この街に着いてから一度も一緒に食べられていない。

 鏡をみるとひどく痩せてしまっていた。髭も伸び放題になっていてひどい顔をしている。髭剃りは持ってきたけれど、見た目がいかついほうが自衛になるかと思い剃らないでいたのだ。意味があったのか今もよくわからない。

 生きて帰れたから意味があったのだろう、たぶん。

メキシコ日記 四日目「トラディショナルなメロンパン」

 

 今日の朝食も昨日と同じカフェへ。メキシコに滞在している間、僕たちはほとんど毎日同じカフェで朝食を取った。一度だけ違うカフェに行ったのだが、味がイマイチだったのでそれきり同じカフェで食事をした。中々ちゃんとしたカフェでウェイターは白いシャツを着て黒いスラックスを履いている。ウェイトレスも糊の利いたパリッとしたブラウスを着ている。観光地だからなのかもしれないが、この街のレストランやカフェはみんなちゃんとした服装をしているので感心する。

 

 このカフェのモーニングは食事を何種類かあるうちから選ぶことができるのだが、どれも朝食とは思えないボリュームである。薄いカットステーキやチキンソテーといったそれなりにがっつりとした主食と、選べるパンと、スイカやマンゴーやパパイヤなどのフルーツが付いている。それとは別にトルティーヤがテーブルに置かれており、いくらでも取り放題になっている。メキシコ人たちは主食をトルティーヤに包んで食べる。東海地方の喫茶店モーニングのボリュームのすごさがテレビで取り沙汰されたりするけれど、メキシコのカフェのモーニングには敵わないだろう。メキシコが肥満大国となる素地はカフェのモーニングで育まれているのかもしれない。

 

 メキシコの食事には必ずと言って良いほど、我々が「あんこ」と呼んでいる、あずきを塩味で炊いてぐちゃぐちゃにマッシュにしたようなものが付け合わせられている。お世辞にも見た目はよろしくなく、教授や先輩はこれを毛嫌いしていたのだが、僕は割と好きだった。こいつをサルサと和えてトルティーヤに包むと中々美味いのだ。この食べ物についてはガイドブックにも載っておらず、調べても名前がわからなかった。もしかしたらこの街特有のソウルフードのようなものなのかもしれない。

 

 トルティーヤはピザ屋や日本食の店のような特殊な店を除いて、どんなレストランにも必ず常備されている。そしてトルティーヤが置かれていたら、それと一緒にサルサが必ずセットで置かれている。そして、サルサは緑唐辛子を用いたものと赤唐辛子を用いたものの、二種類が置かれている。この法則は必ず守られている。メキシコ人というのは食に関しては敬虔なクリスチャンのようにこの戒律を守っている。

 

 体調が少しずつ回復してきたので、この日はホットケーキを頼むことにした。モーニングセットではなく単品のホットケーキなら量が少ないだろうと思ったのだが、普通サイズのホットケーキが三段でやってきたのでさすがに閉口した。

 

 この日の作業は午前中にプログラミングをして、午後からは立ち作業をした。だいぶ体調は良くなっていたはずだが、立ち作業をして肉体に負荷が掛かるととたんにダメになってしまう。部屋の隅でぐったりしていると、ホセがやってきて、
「君は一度ドクターに診てもらったほうが良いな」

 と深刻な顔をした。いくら時差ぼけしていると言っても、もうメキシコに来て四日目である。良い加減に慣れないと申し訳ない。どうも時差ぼけだけでなく、高山病も影響しているらしかった。登山で自力で登る分なら徐々に体が慣れていくものらしいが、飛行機でいきなり標高の高い街に来ると、こんな風に日中疲れやすくなったり眠気に襲われたりするらしい。とにかく何かに呪われているんじゃなかろうかというくらい体が重かった。

 

 昼食は研究所の食堂へ行った。食堂は五十ペソぽっきりで(300円程度)、肉と魚を選ぶことができる。味は普通の法人施設の食堂といったところである。やはり主食の他にフルーツが付いており、テーブルには食べ放題のトルティーヤとパンが置かれている。パンはいろいろな種類があり、その中からメロンパンを手に取ったエルネストは、

「こいつはメキシコのトラディショナルなパンなんだ」と言う。

 どうだ初めて見ただろう、という顔をするエルネストに対し、日本でもポピュラーだとは言えず「へぇ〜」という顔をしておいた。

 

 ところが、日本に帰ってから調べたところ、日本のメロンパンのルーツはメキシコだという説もあるという。エルネストが言うトラディショナルなメロンパンはメキシコではconcha(コンチャ)と呼ばれており、これがアメリカ経由で日本に伝わったというのだ。メキシコではメロン模様ではなく、貝殻の模様を表しているらしい。身近なものに意外なルーツがあるものである。

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メロンパンとアレハンドロ(左)と筆者(右)。メキシコのメロンパンの味は日本と変わらない。

 メキシコ人たちは食べ放題のトルティーヤとパンをとにかくたくさん食べた。よくもまあそんなに食べるものだと感心してしまうほどなのだが、どうやら彼らは夕飯を食べないらしい。食べるとしても酒のつまみ程度だという。とはいえあれだけ太っているのだから、それを差し引いても食べ過ぎだろう。
 
 いつも研究所からホテルまではメキシコ国立自治大学のメンバーが車で送ってくれていたのだが、今日はどうも会議があるとかでバスで帰ることになった。

 メキシコのバスにはバス停という概念が無い。下りたいところでブザーを鳴らすと停車し、乗りたいところでバスを拾うのである。これが中々難易度が高い。大体のバスが停まる位置というのは決まっているので、そこで乗り降りするのが安全である。運賃は6ペソで日本円だと36円くらいであるから非常に安い。バスの車内では、運転手がセレクションしたと思われる音楽が爆音で流れている。流れているのはたいていメキシコ歌謡なのだけど、メキシコ歌謡を大音量で聴いていると中々うんざりする。どの国でも歌謡曲というのは気が滅入るということには変わらないようだ。一度だけoasisスタンド・バイ・ミーが流れていたけれど、ほとんど毎日メキシコ歌謡漬けだった。

 

 爆音で流れる音楽に目を瞑れば、バスは安いし便利なのだけれど、とにかくもう運転が荒い。ただでさえ狭いチョルーラの路地を信じられないようなスピードで曲がっていく。なんと路駐している車に思い切りぶつけてもそのまま走っていく。日本のバスとは全く異なる乗り物なのだと覚悟しなければならない。日本に帰ってしばらく市バスに乗っている時にそのスピードが遅すぎて慣れなかったくらいだ。

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メキシコの市バス。このバスは広い国道を走るのでまだ綺麗だが、町中を走るバスは擦り傷だらけでボロボロである。

 ホテルに帰って一眠りしたら、午後10時になっていた。今日も夕飯を食べそびれてしまった。行きの機内食で食べ切れずに持って帰ったクラッカーを食べて朝を待った。