惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

「死にたくなるほど好きならば」試し読み

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 僕の人生において、周期的に変な女の子と出逢うように宿命付けられているのではないかと気付いたのは、僕が高校生くらいの頃だったと記憶している。


 何年かに一度の頻度で惑星同士の軌道が重なり合うように、何らかの法則に基づく周期で彼女たちは僕の前に現れる。やがて僕はそろそろ変な女の子に遭遇するであろう時期を察知できるようになった。その予感に基づいて僕は神経を張り巡らせて注意した。
 けれど、結局のところ変な女の子との出逢いというのはいくら身構えたとしてもあまり意味がないのかもしれない。彼女たちは想定を超えて僕の人生をかき乱し、そして去っていく。とにかく、いくら対処できないとしても心構えは大事だ。たとえそれが悪あがきだとしても。


 やがて僕はひとつの特技を身に付けた。出逢った相手が変な女の子かどうかすぐに判別できるという特技だ。鍛錬を重ねるうちに、少し顔を合わせるだけでその子が僕の人生に宿命付けられている変な女の子かどうかわかるくらいにまでなった。

 そんな能力なんてほとんど役には立たないんじゃないかと思われるかもしれない。だけど、仲を深める前に変な女の子か判別できるというのは僕の人生においてとても重要だ。繰り返すけれど心構えはとにかく大事なのだ。

 僕はこれまでの人生で何人かの変な女の子と出逢い、そして別れた。彼女たちの何人かと恋人になったこともあるし、ならなかったこともある(全員と恋人関係になっていたとしたら、僕の身はとても持たなかっただろう)。

 彼女たちにはおよそ普通とは言えない人間性を持つ以外の共通項は見当たらなかったが、今となっては彼女たちとの関係は決裂し、もはや連絡さえ取れなくなってしまったという点においては共通している。彼女たちとの関係はいつも長続きしなかった。そしてこれからも再会することはないだろうと僕は思っている。何も根拠のない予感だけれど、それは確信と呼んでも良いくらい確かな予感だ。

 もしかしたらこれは宿命ではなく呪いなのかもしれない。僕の人生はそのような規定の上にあるのだという呪いだ。だとしたら僕を呪っているのは僕自身だろうけど。

 だけどたまに、いつか僕と彼女たちが一堂に会する日が来るのではないかと妄想することがある。ある日の朝、郵便受けに招待状が届いて、案内された会場を訪れるとこれまでに出逢った全ての変な女の子たちが僕を出迎える、そんな妄想だ。

 僕の宿命染みた呪いが全て解け、彼女たちの特異な人間性と僕の偏狭さによって招いてしまった軋轢やら何やらを水に流し、握手を交わして思い出話に花を咲かせる。そんな同窓会めいたハッピーエンドを僕は夢想する。何百年に一度の惑星直列のように、僕が生きているうちにはそんな日は来ないのかもしれないけれど。

 

         *     *     *

 
 大学に入学したときに僕は実家を離れた。一人暮らしを始めるにあたって僕はいくつかミスを犯した。その中でも最悪なミスは洗濯機を買わなかったことだった。

 実家に居た頃は家事をほとんど親に任せきりで甘やかされた生活しか送ってこなかったせいで、独りで暮らすことに対する想像力が欠如していた。家に帰れば温かい食事と風呂と布団が用意されていて毎朝清潔な服を着ることができる、そんなことは魔法でも妖精の仕業でも無く親の労力によるものであり、そんな当たり前の事実にいちいち打ちのめされながら必死に新しい環境に順応しなければならなかった。

 そう、想像力の欠如のせいで僕の部屋には洗濯機が存在しないのだ。両親や先に実家を出た兄も洗濯機を買えとは言ってくれなかった。もちろん訊かなかった僕が全面的に悪いのだが。ともかく、僕の部屋にはテレビやオーディオ機器や大きな本棚はあるのに洗濯機がない。要するに実家の自分の部屋にあったもの以外に対する想像力が足りていなかったのだ。

 おかげで週末にまとめてコインランドリーに持っていくか、小さなユニットバスの浴槽で手洗いをしなければならなかった。大学二年生になり、三年生になっても僕はコインランドリーに行くか浴槽で手洗いをしていた。ここまで来るといまさら洗濯機を買うわけにもいかない。

 テレビでコメディアンが「タイムマシンがあるとしたら、ポイントカードを作りますかと最初に尋ねられた日に戻りたい」という漫才をしていた。最初に来店したときに作らなかったポイントカードを今さら作ったとしても、これまでに断って得られなかったポイントは帰って来ない。ポイントカードの所持を尋ねられる度に後悔の念に囚われてしまう。だからタイムマシンで最初の日に戻りたい、という内容だ。そんなしょうもないことにタイムマシンを使うなと突っ込まれる話だったが僕はとても共感した。僕の洗濯機に対する思いも同じだったからだ。

 汚れた自分の下着を浴槽で洗う度に僕は後悔する。だが今さら買うのも敗北感を覚える。これまでの自分の行為が無駄になってしまう気がして、これからも無駄な行為を重ね続ける。

 暴落する株を損切りできずに手放せないトレーダーのように、過去に囚われて現在地点での正確な判断を下すことができない。僕の人生はそんなポイントカード的な亡霊に満ち満ちている。

 変な女の子たちについて思い返すのも、同じように後悔と自責に苛まれているせいだろうか。
 
 だいたいこんなような話を、僕はコインランドリーで遭遇した女の子に話した。
 彼女は僕の話に相槌さえ打たず黙って聞いていた。
 そして最後にひとことだけ、
「わかった」 
 白石さんはそう言った。

 いったい、何がわかったというのだろうか。
 僕がそう尋ねると白石さんは首を少し傾げて無言でこちらを見つめた。無感情に刺すような瞳が僕に向いている。いちいち説明しなければいけないのか、と言っているような目だった。

「いちいち説明しなければいけないの?」
 彼女は実際にそう言った。

 目で語るだけでは不足だと思ったのか、あるいは僕の洞察力を過小評価しているのかもしれない。

 僕は子どもの頃に公園で遊んでいたサッカーボールのことを思い出した。遊びすぎて空気が抜けてしまったボールは強く蹴り飛ばしても全く転がらなかった。それでも新しいボールを買ってもらえなかったから、球形でなく歪な物体になるまで使い続けていた。彼女との会話の弾性力はあのサッカーボールと同じくらいだった。

 僕は小さなため息をつき、轟々と唸りを上げる洗濯機を見遣った。赤いLEDが、洗濯乾燥が完了するまでの時間を示している。それは僕らに残された時間だ。

 僕らはコインランドリーの匂いに包まれている。

 そもそも僕はなぜこんな雨の日にコインランドリーに来なければいけなかったのか。
 浴槽で手洗いするのが億劫なときか、よほど汚れがひどいときにしかコインランドリーは使わない。理由は単純で金が勿体無いからだ。一般的な大学生はお金が無いのだ。

 雨の日にコインランドリーを利用することはまず無かった。せっかく清潔になった洗濯物が家に帰るまでに濡れてしまうからだ。だが、どうしても明日まともな服を用意する必要があって、こんな雨の日にコインランドリーを利用することになってしまった。ひらたく言うと明日デートする予定ができたのだ。

 それにしても、どうして女の子をデートに誘うというのはこんなにも絶望的にみじめな気持ちになるのだろう? うまく約束を取り付けることができても、何か重大な間違いを犯してしまったような浮遊感が足元にまとわりつく。デートなんて約束するんじゃなかった、独りで映画でも見ていればよかったのだと後悔する。いつもそんな感じだ。

 みじめなやりとりの後に携帯電話を握りしめながらそんな憂鬱な気持ちに沈んでいると、ふと明日着ていく服がないことに気付いた。外は雨模様で、今から洗ったとしても部屋干しでは乾きそうに無い。こういうときは何もかも噛み合わないんだ。舌打ちをして、僕は洗濯物をリュックに詰め込んで家を出た。

 

 そして、コインランドリーで白石さんに出会った。

 

         *     *     *

 

 白石さんは同じ学部の同期で、僕と同じ講義を受けていた。

 白石さんは講義室の前から三列目の右の机にいつも座っていた。なぜそんな細かいことをいちいち見ているかというと、それまで僕も同じ場所を陣取っていたからだ。その場所に座る理由は特に無いけれど慣れた場所というのは手放したく無いものだ。白石さんはいつも講義が始まるより少し早い時間から席を取っていた。しょうがないので僕は彼女の斜め後ろの四列目の席に座った。

 ある日、たまたま前の講義が早く終わったので、白石さんよりも早く席を取ることができた。すこしあとに講義室に入って来た彼女は僕の姿を見咎めると、入口で立ち止まり何も言わずしばらく僕を見つめた。僕は教科書を読むふりをしてその視線をやり過ごした。白石さんが歩き出して何も言わず僕の横を通り過ぎたときは一瞬ほっとしたが、彼女はそのまま僕の真後ろにぴたりと座った。白石さんは何か文句を言うわけではなかったが、無言の圧力が空気を媒介して伝播してくるのがはっきりと分かった。正直に言って、とても恐ろしかった。生きた心地がしなかった。それからは二度と彼女の定位置に座ることはなかった。

 しかし僕らのやり取りといえばそれくらいで、他に話したことはほとんどなかった。大学生の横の繋がりなんて希薄なものだ。ただ、近くに座っていると何となくひととなりは掴める。授業の内容をきちんと理解し、いつも独りで講義を受けていて、友達はそれほど多くない。彼女について知っていることはそれくらいだった。彼女は美人と言って良い容姿をしていたし、頭も良かったけれど、それだけの理由で仲良くなろうとするほど僕は異性に対して積極的ではなかった。
 
 僕が洗濯機に衣服を放り込み硬貨を入れて洗濯を開始しようとした、ちょうどそのときに白石さんがコインランドリーに入って来た。青色の傘を畳み、空いている洗濯機はどれかと店内を見渡したときに白石さんも僕に気付いた。

 だけど、説明したように僕らは学外で偶然出逢っても会話をするような仲では無い。無視するのも気まずいので僕は軽く会釈をしたが、彼女はちらりと僕の方を見ただけだった。そんなことでいちいち気分を害する人間ではないので、僕は軽く肩を竦めて聞こえない程度に小さく鼻を鳴らし、コインランドリー内に設置されたパイプ椅子に座って本を読みながら洗濯が終わることを待つことにした。

 洗濯から乾燥が終わるまで小一時間かかる。晴れていれば家に帰ることもあるけれど、だいたいは本を読んで待つことにしている。コインランドリーで本を読むのは好きだった。昔から僕は何かを待つというのは嫌いではなかった。たとえば空を眺めたり、街行く人を観察したり、こうして本を読んだり、暇を潰す方法を考えるのが好きだ。それにコインランドリーの暖かい乾燥機の匂いに包まれているとなぜか安心する。それに喫茶店とは違っていくら居座っても無料だ。もちろんコーヒーは出てこないけれど。

 白石さんは空いている洗濯機を見つけると、袋から衣服を取り出して中に入れ始めた。僕はすでに本に集中し始めていたが、視界の端でその姿を捉えていた。やけに洗濯物の量が多いな、と僕は思った。
「あっ」
 袋から洗濯機に移す際に、白石さんの手から衣服の一部がこぼれ落ちた。そして、偶然にも僕の足元にそれが滑ってきた。

 

 それは、白石さんの下着だった。
 紅色の、レースの付いた派手なブラジャーだった。

 

 その瞬間、確かに時が止まっていた。

 おそらく地球の自転も止まっていたんじゃないかと思う。

 僕は何も言えず、動くこともできなかった。落としましたよ、なんて拾えるわけがない。消しゴムを落としたのとは違うのだ。

 白石さんもしばらく静止していた。だが僕とは違い動揺しているのではなく、ただ無感情に落ちた下着に目を向けていた。まるで下着が自分で起き上がって彼女の手元に戻ってくるのを待っているかのようだった。白石さんがどれくらいそうしていたかはわからない。ものすごく長い時間だったような気がするし、一瞬だったかもしれない。当然のことながら下着は起き上がったりはせず、時間から切り取られた世界の一部としてコインランドリーの床に存在し続けていた。

 不意に彼女は僕の方を向き、口を開いた。
「ねえ、どう思う?」
 僕は彼女の言葉の意味がわからなかった。
「え、何が?」我ながら間抜けな声だった。
「私のブラジャー、どう思った?」
 白石さんはもう一度問いかける。

 この人は何を言っているんだろう、素朴な疑問が僕の脳内を支配した。

 一瞬の空白の後、僕は今までになく思考をフル回転させた。大学入試のときよりも脳を活用させ、圧縮された時間の中で彼女の問いに対する答えを探した。

 だが答えなんて出なかった。

 可愛いね、で良いのか。そんなはずがない。飼い犬を見せられた感想とは違うのだ。早く仕舞ったら、と冷たく言い放つのはどうか。気の利かない男だと思われるかもしれない。だけど気が利かないと思われたから何だというのか。色々考えているうちにだんだんと腹が立ってきた。なぜ僕が突然試されなければならないんだ。

「別に、どうも思わないけど」僕はぶっきらぼうを装って答えた。
「嘘」
 白石さんは即座に否定した。
「高梨君は嘘をついている」

 白石さんはそう言って、下着を拾い上げ洗濯機に投げ込んだ。洗濯機のドアを閉めボタンを押して洗濯を開始し、僕の方を振り返る。

 そのとき、僕は白石さんの顔を初めてまじまじと見た。

 思えば、予感は確かにしていたのだ。僕はもっと身構えておくべきだった。

 白石さんは正真正銘、パーフェクトに変な女の子だった。

「私はね、他人の下心を見ることができるの」
 白石さんは相変わらず無表情で僕を見つめている。
「高梨君、私の下着を見て興奮したでしょう?」

 

 

.................続きは書籍にて。

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