惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

進捗月報 2024/5月

■インプット

<<本>>

長編小説を書き上げたので読書時間が増え、GWもあったおかげで今月だけで10冊読んだ。うち4冊は再読ではあるが、1〜4月で読んだ冊数よりも多い。長編をかいている間は資料をつまみ読みしていたので冊数が増えなかった。まぁ冊数を誇っても意味がないのだが。

米澤穂信春期限定いちごタルト事件

米澤穂信夏期限定トロピカルパフェ事件

米澤穂信秋期限定栗きんとん事件 上」

米澤穂信「秋期限定いちごタルト事件 下」

米澤穂信「冬期限定ボンボンショコラ事件」

ついに小市民シリーズが完結した。

米澤穂信先生のサイン会に参加するため、シリーズを全部読み返した。高校2年のときに「夏期限定」が出て話題になり手に取ったのが米澤作品に触れた最初だった。その一冊に衝撃を受け、それから現在に至るまでほぼすべての著作を読んでいる。小説の書き方についてもかなり影響を受けていると思う。

米澤作品のひとつの大きな特徴として、探偵が謎を解くというミステリ小説においては当たり前とされている行為に対する功罪についてスポットを当てていることだろう。さらに特筆すべきは、そのような「アンチ・ミステリ」とも言えるスタンスでありながら、本格ミステリとして魅力的な謎と謎解きをきちんと用意している点にある。

普通、謎が思いついているのに「なぜこの謎を解かなければならないのか」ということまでいちいち考えようとは思わない。そのような自己言及はともすれば純粋な謎解きの面白さを損なう可能性すらある。だが米澤穂信の小説では巧緻な謎を提示した上で、「なぜ謎を解くのか」「謎を解いた先に何があるのか」「謎を解いた者に対して周囲はどのように反応するのか」ということに対して真摯に答えを出す。

小市民シリーズはその特徴が顕著に出ている作品である。主人公であり探偵役である小鳩常悟朗とそのパートナー(と言っていいだろう)の小佐内ゆきは「小市民を目指す」という変わったスローガンを掲げている。自分は普通ではないという屈折した自嘲は、過去にミステリ小説じみた探偵行為をしたために受けた仕打ちによって刻まれたコンプレックスだ。もう二度と知恵働きはしないと言いながら、目の前に提示される日常の謎を解かざるを得ないさまをコミカルに描く。

改めてシリーズを読み返すと、描かれているテーマは同じでも、事件の内容は明確に変化していることに気付く。一作目は自転車泥棒、二作目は誘拐、三作目は放火、そして最終作である今作ではついにーーーー。

主人公たちの自意識についても徐々に移り変わっていく。本来の性向を戒め小市民たろうとするが、やがてそれは挫折する。開き直りにも近い三作目は、主人公以外のキャラクターが犠牲になっているようで初読時は少し嫌だなとさえ思ってしまった。再読してみるとそれは必然だったのだと気付く。ありのままの加害性を自覚しなければ、このふたりは前に進めないのだ。

そして前進した先である今作は、ついにトラウマの元凶である、小市民を目指すきっかけとなった始まりの事件と対峙する。最終作をゆっくり吟味しようと思ってたが、面白すぎて一晩で読んでしまった。至高のシャルロットを目の前にして手が止まらなかった小鳩君の気持ちがよくわかる。

最初は彼らと同い年だったはずの僕はもう35歳になってしまった。彼らはまだ大学生にもなっていない。おそらくその前途は多難だろうが、幸福を願わずにはいられない。

 

山田恭平「南極で心臓の音は聞こえるか」

第59次南極地域観測隊越冬隊員である著者のエッセイ。非常に素晴らしくて、僕がほしいと思っていた情報が満載だった。この本が無ければ長編小説を書き上げるのはあと半年は長引いていた。感謝しても感謝しきれない。

この本の素晴らしいところは南極での生活面の描写と研究面の描写がどちらもバランスよく詳細に書かれているところにある。特に雪上車の運用に関する説明についてはこの本よりも詳しく書かれた文献は見当たらない。暖機運転のやり方、駐車、給油方法まで詳細な手順だけでなく、各作業の苦労まできちんと書かれている。雪上車で旅をする小説を書いていた僕にとっては本当に貴重な情報だった。

資料としての素晴らしさだけでなく読み物としても非常に面白かった。南極生活がリアルに感じられる。将来南極に行きたいと考えている学生を導くような一冊だと思う。

 

マーク・カーランスキー「塩の世界史 上」

古本屋でなんとなく手に取ったのだが、それなりに面白かった。塩に関する人類の関わりを描いているが、通史的でないのが難点。下巻は読まなくていいかな。

 

西村賢太苦役列車

あー、面白い。

芥川賞受賞作。北町貫多が10代だった頃の港湾作業員時代を描く。まだ同棲しておらず、古本にもさほど耽溺していないので、いつものように傍若無人でもさほど不快感を覚えず、むしろその不遇に対して同情を感じて受賞に至ったのではという気もする。とはいえ北町貫多はやっぱり若い頃からめちゃくちゃだった。断続的に日雇い労働に通い、日銭は飲み食いと風俗に費やし家賃を滞納、何度も大家に追い出されては居を転々とする。そんな折、日雇いの派遣先で出会った同い年の学生と仲良くなったところから今回の話は始まる。最初は青春めいたやり取りが交わされるのだが、すぐにいつもの悪態が繰り広げられる。爆笑しつつ、なぜか悲しくなる。

 

唐木厚「小説編集者の仕事とはなにか?」

メフィスト座談会のDこと唐木厚の本である。この説明がわからないひとは(あるいは編集者という職業についていなければ)、本著を手に取らなくてもいいかもしれない。僕は編集者じゃないので、ノウハウ的な部分はわからず。京極夏彦森博嗣の担当編集だった頃の秘話が知れて満足。

 

東浩紀「訂正可能性の哲学」

東浩紀は昔から好きだったけれど最近のネットでの泥酔時のふるまいに幻滅して本作を読まずにいた。まぁでも本人の行動と著作はあまり結びつけるものではないよなと思い読んだ。

家族や企業など、社会におけるあらゆる共同体における同一性といったものは実は幻想である。同一の屋号を掲げていても、構成員や規則は流動的に変化する。同一でありながらも原理的には訂正を認めるざるをえない、そういった本質を訂正可能性と本著では呼ぶ。訂正可能性という概念をキーに、これまで東が語ってきたルソーの一般意志への解釈や、近年提唱されているAIを用いた民主主義への回答が書かれている。これまでの著作と同様、わかりやすく知的興奮に満ちている。

気になった点がひとつ。東が人工知能民主主義と名付け批判する、AIを用いてビッグデータから人の無意識をすくい取り政治に反映する危険性について。人間としての個人が忘れ去られ「あなたと同じ属性を持つ人は〇〇だから、□□であるべきだ」という匿名的な類似性に基づいた強制力が働く恐れを指摘しており、そこには訂正可能性がなく、たとえ類似性から外れた「個人の事情」があったとしてもビッグデータの外れ値として処理されると批判しているが、外れ値が集積されればいつかはビッグデータに反映されるというのは訂正可能性ではないのだろうかと思った。あるいは、AIを用いた大衆のコントロールと、ビッグデータに汲み取れない「個人の事情」を救うための人間的な営みを、別の機関がそれぞれ担うことも考えられるのではないだろうか。

そういったことを考えたりすることが「知的興奮」なのかもしれない、と思ったりもした。

 

<<映画>>

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

ある程度楽しめたのだが、前評判を聞いて期待していたほどではなかった。最初の因習村の雰囲気は面白く、途中までは夢中になれたのだが、何もかも妖怪の仕業と言うか(まあそれはしょうがないけど)、妖怪に呑まれた人の欲望というのが、なんとも白けてしまった。後半につれ急ピッチで巻き取られていく伏線にもついていけず、もうちょっと長尺で描くか、要素を減らしてほしかったなと思う。たぶんゲゲ郎と水木の関係性に萌えられるかどうかが全てなのかもしれない。

 

■アウトプット

構想から約1年半かけて長編小説2作目を書き上げた。反省と備忘は下記を参照。

planetarywords.hatenablog.com

誤字脱字チェックが終わり第3稿ができました。もう応募しようかと思います。締め切りが直近でカテゴリエラーにならさそうな賞に応募しようかと思いますが、選考委員の作家陣に好きな作家が多い別の賞に応募することも悩み中。最終選考に残らないと選考委員作家には読まれないので、面子が誰だろうと関係ないよなと思いつつ、最終選考に残れなかったら何にせよ意味ないよなとも思いつつ。とりあえず今作の目標は最低でも一次選考を通りたい。これまでライトノベル系の賞では2度一次選考を通ったことがありますが、一般文芸ではないので・・・。

 

すでに次作の構想に入りました。いくつか案がありましたが、いまは「婚活頭脳バトル小説」のアイデアを形にしています。フックは面白いと思いますが、中身を面白くしなければ意味がありません。きちんとプロットを練ろうと思います。年内に書き上げられたらいいのですが・・・。