惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 十三日目「適応するということ」

 

 金曜日。

 今日でメキシコ滞在も半分を過ぎる。見知らぬ国での生活で肉体的にも様々な変化が起こっていた。判別しやすい部分では、髭が伸びた。こちらに来てから一度も剃っていないから、5ミリくらいの長さにまで伸びている。

 体重も減っていた。体重計がなかったので正確には分からないが体感としては3キロくらい減っているように思う。

 そして、日本では一年中悩まされていた慢性鼻炎の症状が全く出なくなった。これには正直とても驚いた。僕はいくつかの花粉アレルギーを持っていて、出かけるときにはポケットティッシュが手放せないくらい鼻炎がひどいのだけれど、メキシコでは一切それが必要無いのだ。植物の種類や気候のせいだろうか。こちらに来て間も無い頃は一刻も早く帰りたいと思っていたが、こうしてみると僕の肉体としてはこの国の方が過ごしやすいようである。
 
 朝食はいつものカフェにてメロンパン、チョリソーとジャガイモのトマト煮を食べる。いつも紅茶を頼んでいるのだが今日はコーヒーを注文してみた。胃に悪いと思って朝からコーヒーを飲むのは避けていたのだが、もともと僕はコーヒー派の人間である。

 店員がわざわざ確認しにきた。どうやら店員に覚えられているらしい。まあ毎日のように来ていたらそうだろう。

 エルネストやアレハンドロたちが研究所に顔を出した。彼らはしばらくこの街に滞在すると言う。普段エルネストたちはメキシコシティの方に住んでおり、ここの研究所に通うには少し遠い。

 彼らはいつも研究所のバンガローに泊まっていると言った。

「お前らもバンガローに来るといいじゃないか。安いぞ」とエルネストは言う。エルネストはバンガローに滞在すること僕らに熱心に勧めた。エルネストは前に僕らが泊まっているホテルの値段を聞いて顔をしかめていたが、なるほどこのバンガローはほとんど無料と言っていいくらいの値段だった。ただし、部屋の清掃などの身の回りの世話は自分でしなければいけない。実際にバンガローを見せてもらうことにした。

 バンガローは研究所の中にある平屋の建物で、10棟ほど存在しておりそれぞれに番号が割り振られていた。部屋は広く3LDKくらいはあり、電気水道はもちろんネットも使えるという。

 住み心地は悪くなさそうだったが、僕は正直今のホテルから移りたくはなかった。バンガローに移るならば先輩と同じ部屋に一緒に住むことになり、他人と同居するのはあまり気が進まなかった。

 僕は決定権を持たないので黙っていたのだけれど、結局バンガローには移らないことになった。研究所はチョルーラの中心から離れているため食事に行きづらくなるし、ネット環境が万全かどうかも分からなかったからだ。軽率にホテルを引き払ってしまうと戻るに戻れないという事態に陥りかねない。バンガローに行かないと決まったときには思わず安堵してしまった。

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研究所のバンガローのある辺りの風景。写真に写った橙色の建物がバンガローだったかどうかは失念。

 夕食は教授が街の中心から外れた通りに飲食店がたくさんあるはずだというのでそちらに行くことにした。だが教授の言葉とは違い、その通りには市場はあるけれど飲食店はほとんどなかった。

 仕方が無いので薄暗い怪しげな居酒屋のような店に入った。店内に踏み入れると寂れた雰囲気が店内に満ちていた。広場の近くのレストランには英語のメニューも置かれているのだが、ここにはスペイン語のメニューしかなく、苦労しながらスープとピザを頼んだ。

 このスープは薄味で美味しくなく、ピザに至ってはスーパーで売っているような冷凍ピザであった。教授と先輩は別のメニューを注文していたが、同じような渋面をしていたので他のメニューも似たようなものだったのだろう。支払いに五百ペソ紙幣を出したら、冴えない眼鏡の店員が困惑し、もっと細かい紙幣は持っていないのかと言った。あいにく持ち合わせが他に無かったのでどうしたものかと困っていると、店員が他の店にまで走って両替してくれた。

 日本では考えられないことだが、海外では街の個人店なんかだと大型紙幣が使えなかったりする。そんな紙幣を流通させるなと思うのだけれど、海外では小銭をたくさん持っておく必要がある。

 息を切らせてまで両替をしてくれた店員に感謝し、冷凍ピザの味については不問にすることにした。まあ、その店には二度と行かなかったのだけれど。

メキシコ旅行記 十二日目「うんこのはなし」

 

 木曜日。

 夜中雨が降り続き、これまでで最も冷える朝となった。寒かったせいか朝七時まで眠っていた。

 朝はいつものカフェにて、細切りの牛肉をトマトとチリソースで煮込んだものと、ベーコンと卵の炒め物を食べる。ふとトルティーヤが欲しくなり店員に持ってきてもらうように頼むと、

「お前、トルティーヤは無料だと思ってないか」と教授が僕に言う。
「違うんですか」僕は驚いた。
「お前なあ、タダでもらえるはずないだろう」

 言われてみればその通りである。メキシコ人たちがトルティーヤをほいほいと食べていくのでてっきり無料だと思っていた。

 しかし、会計を見てみたらやはりトルティーヤ代金は含まれていなかった。多分、店によるんだと思う。もしくはモーニングだけ無料なのかもしれない。
 
 研究所に着き、ひたすら実験を行う。データが上手く取れていないのでその原因を探るのに明け暮れた。ケーブルの抜き差しを繰り返す。

 実験も上手くいかないが、体調も芳しくなかった。腹が痛い。

 

 いい機会なので、メキシコの便所事情を説明しておこう。汚い話になるので食事中のひとは読み飛ばしてください(食事をしながらこの日記を読む人なんてほとんどいないと思いけれど)。

 下水インフラが整備されていないため紙を流すことができないことについては前に述べた。メキシコは場所によってトイレ環境のランクが大きく異なる。ホテルのトイレやちゃんとした商業施設のトイレは、紙が流せない以外は日本とさほど変わらないのだが、研究所にあるトイレはかなりランクが低い。

 まず、洋式トイレなのに便座が存在しない。むき出しの陶器の上に座らなければならないから、衛生的じゃないし冷たさが素肌から伝わり非常に冷える。これを避けるには常に空気椅子のような体制で用を足さなければならない。

 次に、個室の扉のサイズがおかしい。普通トイレの個室というものは完全に外界と遮断されているか、上部だけ空いていることが多いと思う。だがこのトイレは成人男性の胸の位置くらいまでしか扉が無く、下も膝くらいところが空いているのだ。西部劇に出てくるパブの入り口に使われているようなサイズの扉を想像してほしい。その気になれば中に誰がいるのか容易に覗くことができてしまうのだ。正直これについては全くもって閉口した。

 そして、トイレットペーパーは個室の外にある。手洗い場のあたりに巨大な紙ロールが備え付けられており、使う分だけ取ってから個室に入らなければならない。こういうシステムのトイレは韓国にもあったから、外国ではよくあるのかもしれない。このシステムの最大の問題点は、持ち込んだ分で紙が足りなかったときである。そういった状況に追いつめられたときの絶望感は凄まじい。そして僕はその状況に陥ってしまった。

 ひどく腹を壊していたため、尻を拭いた後にまた用を足してしまい、紙が足らなくなってしまったのである(用を『足して』紙が『足らない』のはヘンな話ですね)。

 

 この状況を打破するために僕はどうしたか?

 

 解決方法はシンプルである。外にあるロールから紙を取ればいいのだ。だが事態はそんなに単純ではない。

 僕の尻は汚れている。当たり前である。汚れているものを拭く紙がないのだ。したがってこの状況でパンツを履き直して外に出れば、パンツが汚れてしまう。

 となると、パンツを履かずに外へ出るしかあるまい。

 それはもはや必然の答えだった。幸い研究所の外れにあるトイレはあまり人も来ない。だが局部を丸出しにして外に出るのはさすがにリスクが高すぎた。しょうがなく折衷案を取ることにした。半分だけパンツを履く、いわゆる半ケツ状態で外の紙を取る。完璧ではないが最善の策に思えた。

 だが僕はひとつの欠点を見落としていた。中途半端にズボンを履くことになるから、なし崩し的にヒョコヒョコ歩きになるのだ。これは見た目の奇怪さもさることながら、移動速度に致命的な限界が生じてしまう。

 間が悪いことに、その瞬間にホセがトイレに入ってきた。ホセがメキシコの研究メンバーの中で一番偉いということは、確か前に述べたと思う。

 そして、彼は僕の方をちらりとみた。

 半ケツで紙を取るヒョコヒョコ歩きの奇怪な日本人を彼はどのように感じたのだろうか。それは分からない。

 彼は無言だった。僕も無言だった。

 彼の目はとても暗く深い洞穴を見つめるような目をしていた。それは何かを示唆するような目だった。僕という人間から何かを汲み取るような目でもあり、それでいて僕の中から何も見いだせなかったようなことに対する失望にも似た虚無に満ちていているようでもあった。彼は何一つ表情を変えず、紙ロールから自分の使う分の紙を取り、個室へ入っていった。ホセの頭が中途半端なサイズの扉の上部から見え隠れしていた

 僕は半ケツのまま自分の個室に戻り、尻を拭いて外へ出た。

 夏のメキシコの空はとても青く、抜けるように晴れ渡っていた。だが、僕の心にはホセの目の暗さが残り続けた。

 

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せめて、メキシコの綺麗な空の写真を載せておきます。

メキシコ旅行記 十一日目「インディファレンス・ソープ」

 

 水曜日。

 たとえ初めての海外滞在だとしても一週間も同じ場所に居れば、何か特別なことがないかぎり書くことがなくなってくる。そんな日の日記は食べたものの詳細くらいしか書かれていない。

 朝食。いつものカフェにてアラチェラと呼ばれるタレに浸けた肉を焼いたものとメヒカーナを食べる。アラチェラは十分やわらかく味も良いのだが昨晩の肉が美味すぎたので少し物足りない。

 昼食。ビフテキとポブラーノ・ソースがかかったトルティーヤ、ピラフ。ブロッコリーの入ったトマトスープ、ヨーグルトソース(やたら甘い)のかかったイチゴを食べる。ビフテキの固さが尋常でない。この国の「ビフテキ」というのはものすごく固い肉のことのようだ。

 夕食。広場沿いのイタリアンの店へ。パスタを食す。カルボナーラソースは美味しいのだが麺が茹で過ぎだった。標高が高いから茹で加減が難しいのではと教授が推測していた。

 レストランの外のテラス席に座っていると物売りの老人が話しかけてくる。たいてい造花や土産物の玩具を売りつけてくるのだが、無視をするかはっきりと断らなければいけない。

 昨日のステーキ屋もそうだったが、店にはギターを抱えたミュージシャンが弾き語りをしていた。音量が大きすぎたので落ち着いて食事が出来ない。どれくらい音量が大きいかというと、三軒隣のレストランで歌っているミュージシャンの音が普通のBGMくらいの大きさで聞こえるくらいである。店としては逆効果と思うのだけれど、メキシコ人は気にならないのだろうか?

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なぜかこの街のレストランにはミュージシャン(とりたてて上手くはない)が店の中で演奏していてとてもうるさい。

 今日の特筆すべきすることといえばスーパーマーケットに行ったことくらいである。この街のスーパーマーケットに来たのは初めてだが、日本の大きめのコンビニくらいの広さしかない。万引き防止のために入り口でカバンを預けなければならず、入るのに遊園地に良くあるような入場制限の回転式バーを通らなければいけない。

 通路は狭く、陳列棚には商品がぎっしりと詰められているが、よく見ると同じ商品がいくつも並べられているだけなことに気付く。ボディソープが欲しかったがどれなのか分からず何も買わなかった。シャンプーと洗剤とボディソープのパッケージがどれも同じようなので違いが分からないのだ。嘘だと思うなら、日本のドラッグストアに行ってみてほしい。日本語が分からなかったら洗剤もボディソープもシャンプーも分からないと思うでしょう。

メキシコ旅行記 十日目「人の名前かと思っていた」

 

 火曜日。昨夜の雷のせいかネットが使えなくなっていた。

 今日の朝食は研究所の食堂で食べることになっていた。昨日、エルネストが「申請をすると食堂なら朝食がタダになるんだ。俺が申請しておくよ」と話していたのである。
 だが、実際に食堂に行ってみると、きちんと食事代を請求された。三十七ペソなので二百円くらい。メヒカーナというトマトと卵を炒めたシンプルな料理を食す。味はいつものカフェのほうが良い。

 今日はほとんど仕事をしなかった。僕のパソコンでは実験に使うプログラムがコンパイルできないせいである。なので既存のプログラムのデバッグをしていた。

 昼過ぎ頃に観測装置の治具を作るためにブラックスミスが来た。僕はこのブラックスミスというのは『ブラック・スミス』という人名だと思っていたのだが、もともとは鍛冶屋を意味する言葉で金属加工業を営む人の総称のことだった。確かに、ミリタリー系のゲームなどにガンスミスという役職が出てきたりするが、それの何でも屋的なものらしい。ブラックスミスは三十代くらいのメガネをかけた痩せたメキシコ人で、若い助手を連れてきていた。その助手がやたらと僕のほうをちらちらと見るので困惑する。理由は分からない。

 昼食は再び食堂に行き、ジャガイモとズッキーニが入ったコンソメスープとピラフとほうれん草を鶏肉で包んだもののトマト煮を食べる。スープは薄味だ。メキシコで薄味の食べ物は初めてなのではないか。メキシコ人にとっては健康食のようなものなのかもしれない。エルネストたちは特に何の感想もなさそうに食べていたが。

 昼食後も仕事をしているんだかしていないんだか分からないような感じで早々にホテルから帰った。

 ホテルに帰るとネットが復活しており、日本の大学事務から「大学構内に猿が出現したので気をつけるように」という旨のメールが届いていた。

 僕の通う大学は住宅街の中に存在しているが、農学部の方は深い森に面している。そのためタヌキやイタチなどの野生動物が出没することはよくあるけれど、猿は初めてである。本当に街中にある大学だろうか。それにしても、こちらはアサルトライフル武装するような国で生活しているというのに、日本は呑気そうで羨ましい。

 夕食は広場に面したステーキ屋へ行く。薄暗い店内はそれなりに雰囲気があるが、フィレステーキはおよそ六百円と非常にリーズナブルである。しかも味も良かった。日本で同じものを食べようと思ったら三千円くらいはしそうである。ビールのお供にモデロ・ビールを飲む。最高である。

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広場にはいくつもレストランが同じ建物の中に連なっており、テラスにテーブルが置かれている。



メキシコ旅行記 九日目「オノマトペ日本人」

 

 月曜日。今日からまた研究所に通う日々になる。朝はいつものカフェで、源氏パイを巨大にしたようなパイを食べる。どの国でも似たような食べ物があるものだと感心する。

 バス乗り場へと行く途中、装甲車へ乗り込む警察部隊を目にした。彼らはアサルトライフルを斜めに下げていた。こんな田舎町で本格的な武装を目にするとは思っていなかったのでショックだった。アサルトライフルなんて映画の中でしか見たことがなかった。それはまるで冗談みたいに本物だった。モデルガンショップに並んでいるものと見た目は変わらないのに、それは容易に人を殺すことができる。

 平和の基準は国によって違う、と改めて思う。この街では民家の窓には必ず鉄格子が嵌められている。僕は背中を丸め、街を歩く速度を上げた。
 

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この街の通りに面した窓には必ず鉄格子が嵌められている。

 研究の仕事は新しい局面を迎えていた。プログラムを組んでソフトウェア的に進めるフェイズは終わり、次のフェイズに進むためのハードウェアを準備する必要があった。
 つまり、我々の研究計画はこういうことになっていた。まずは小さな実験規模で試運転し、プログラムの正常性などを確かめた後、本番の観測を行うためにハードウェアを拡張する。実験装置はまだその一部のみしか稼働しておらず、配線も行っていなかった。これから全部を稼働させようというのだ。

 ハードウェアを稼働させるといっても、基本的な資材が不足していた。たとえば接着剤やサンドペーパーといったものである。もちろん現地のホームセンターで買えるのだが、メキシコメンバーにお遣いを頼むことになる。

 もっと目の細かいサンドペーパーを用意してくれと指示を出したかったのだが、英語でどう表現すればいいのか分からなかった僕は、
「つるつる! ざらざら!」
 などと擬音語を連発しメキシコメンバーたちを困惑させた。しかしなんとなく伝わったから凄い(凄いのはメキシコ人たちの読解力である)。


 昼休みに暇を持て余したので、特に意味もなくピッチングフォームの練習をしていたら、
「野球をするのか?」とエルネストが僕に尋ねた。
「ああ、ジュニアハイスクール時代は野球チームに入っていた」
 僕は答えた。嘘である。僕はよく意味のない嘘をつく。

 

 そんなたわいのない会話をしていたら結構メキシコメンバーたちと打ち解けることができた。彼らがスペイン語で何か怪しげな会話をしてニヤニヤしたかと思うと、僕にこっそりと耳打ちして、
「メキシコの女の子のことをどう思う?」と尋ねた。
 僕は率直に「みんな結構可愛いけれど、太り過ぎじゃないか」と答えた。僕の答えにエルネストたちは爆笑していた。


 昼食は食堂でアボガドにポテトサラダを詰めたものを食す。メキシコに来て初めてマヨネーズで味付けされた食べ物に出会ったかもしれない。まあ普通に想像通りの味なのだけれど、物足りなくてサルサをかけて食べた。完全に味覚が侵されてしまっている。


 仕事の後はコンテナハウスの居酒屋へ行くことになった。しかし、月曜だからか時間が早いからか分からないがほとんど営業していなかった。適当な店に入りビールを飲む。
 メキシコのビールは安い。酒税が安いのだろうか、だいたい百二十円くらいで飲める。
 コロナビールは日本でもポピュラーだけれど、こちらでも飲まれてはいるが安物のイメージがある。こちらでいう発泡酒みたいな感覚だろうか。ライムを添えて軽く飲むような感じのもので、メキシコで一般的に飲まれているビールはもっとヘヴィなものが多い。僕がよく飲んだのはヴィクトリアやモデロ、レオンといった黒ビールだ。いちおうアサヒビールも見かけた。だが、ビールというのはその国のものをその場で飲むのが一番美味しい。僕は中でもモデロが一番好きで、日本では中々飲めないのが残念である。

 相変わらずメキシコ人はつまみをほとんど食べないので、ポテトチップスにサルサをかけたものだけでビールを5本飲んだ。例のごとくサルサは二種類置かれており、そのひとつをエルネストが舐めると顔を顰めた。
「これは辛すぎる! 君たちは食べないほうがいいぜ」

 その言葉に従いもう一方のサルサをかけたが、こちらもとても辛かった。メキシコに来てから一番辛かった。この店のサルサが異常なのだろう。全く味覚に関しては油断ならない国である。

 ホテルに帰ると雨がひどく降ってきた。雷も響いている。だがそのおかげで、毎晩深夜までうるさかった夜の街の喧騒と花火(あるいは銃声)の破裂音が聞こえなかったのでゆっくり眠ることができた。

メキシコ旅行記 七日目「ふたつの教会とチョコチップクッキー」

 

 土曜日である。

 朝までオースターを読んでいて腹が減っていたので、朝食は普通に食べることが出来た。いつものカフェではなく、ホテルのレストランで朝食をとることにする。トルティーヤをトマトソースでくたくたになるまで煮込み、その上に焼いた牛肉を乗せた料理を食す。美味しいが、いつものカフェよりは値段が高い。

 

 休日ということで研究はお休みである。これまでは日中教授と先輩と一緒に行動していたが、各自自由に過ごすことになる。チョルーラの街の近辺を散歩することにする。

 まずは街のカテドラルへと足を運んだ。前に行ったサン・ペドロ教会ほどではないにせよ、こちらもかなり大きい。中に入るとサン・ペドロ教会よりも天井が高く、印象としては広く感じる。装飾も綺麗である。早朝の教会には誰もいなかったので写真を撮っていたら、地元の中年男性が自転車で教会の建物の中に入ってきて驚いた。

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街の大聖堂の内部。繊細な装飾が施されている。

 教会のマナーというのはよくわからないのだが、礼拝の時間以外なら自由に出入りしても良いようだ(勿論、不必要に騒がしくしないというのは最低限の常識であるが)。

 いつもホテルから広場の方にしか行かないので、裏手の方へと回ってみることにした。2ブロックほど歩くと車の通りが多い国道に出る。目の前を過ぎていく車の速度が速すぎるせいか、車道の幅が広く感じる。その国道を黄色いバスが頻繁に通っていく。どうやらあのバスに乗ればプエブラの中心地に行くことができるらしい。とはいえ本当にそうなのか分からないので今は乗らないでおく。

 

 昼食は一旦教授たちと合流し、広場の一角にある中華料理屋に行くことにした。
 メキシコに一週間もいると、そろそろメキシコ料理の味に飽きてくる。海外に長期滞在した人は、日本食の味が恋しくなるよと口を揃えて言う。そんなものかと僕もインスタントの味噌汁を持ち込んでいたが、お湯が沸かせないので結局食べなかった。
 日本食が恋しくなったわけではないけれど、メキシコ料理の味付けにたいして退屈はしていた。メキシコに着いてしばらくはまともに食べられなかった僕がそうなのだから、教授や先輩はなおさらだろう。

 メキシコ料理は世界の料理の中でもバリエーションが豊富だけれど、この街ではだいたいがサルサかトマトソースの味のものばかりなので、そろそろ別の味付けの料理が食べたくなった。そんなわけで中華料理屋を訪れたのである。

 中華料理屋は広場の目立たない場所にあり、外から見ても薄暗かった。美味しい料理が出てくるような店構えではないな、と直感する。そもそも観光地のど真ん中に中華料理屋があっても、地元の人間しか行こうと思わないだろう。たとえば、北海道でイタリアンを食べる観光客がいるだろうか?

 ビッフェ形式で好きな料理を皿に乗せ、会計をするスタイルだった。店員はアジア系ではなくメキシコ人である。

 僕は焼きそば(のようなもの)と野菜炒め(と思われるもの)と肉じゃが(に近しいもの)を食べた。味についての詳細な言及は避けたい。

 決して不味くはない。ただ、日本でこの味の料理を出すのは許されないだろうなというレベルである。しかし、メキシコ料理ではない味が食べたかった我々としてはそれなりに満足した。

 

 昼食を食べた後は再び解散し、自由に行動することになった。

 いつも研究所に行くときに使っているバスに乗ってトナンツィントラの方へと行ってみることにした。

 トナンツィントラは研究所の先にある観光地であり、小さいが一応『地球の歩き方』にも紹介されている。トナンツィントラ自体は街の中心から外れているのだが、トナンツィントラにはサンタマリア・トナンツィントラとサンフランシスコ・アカテペックという有名な教会がふたつある。

 まずはサンタマリア・トナンツィントラへ。正面の壁はブラウンに白のドットが打たれており、サイドはクリーム色に塗られている。まるでレゴブロックで出来たおもちゃの教会のようである。

 この教会の見どころは内部の装飾である。蔦やカカオなどの農作物をモチーフとした細密な金装飾の彫刻が壁一面だけでなく天井に至るまで、教会の内面を覆い尽くしている。荘厳とかそういう言葉よりも、なにかの生き物の内部を想起してしまう。よく見ると植物だけでなく人の顔も無数に彫られており、不気味ささえ覚えてしまう。先住民族たちの土着的な美意識が現れたものらしいのだが、ヨーロッパ的な美術とは一線を画していて、こう言ってしまうと不適切かもしれないがある種呪術的とも思えるような妖しさを感じてしまう。

 この内部装飾は二百人もの先住民族の職人たちが2世紀という年月を費やして作り上げたものだという。呪術的というよりは執念じみているのかもしれない。いずれにせよ、じっと見ていると飲み込まれるような眩暈を覚えるような空間である。

 もうひとつのサンフランシスコ・アカテペックは、サンタマリア・トナンツィントラとは対照的な意匠をしている。サンタマリア・トナンツィントラは外見はシンプルで内部が緻密だったが、サンフランシスコ・アカテペックは外面が特徴的である。壁一面に目にも鮮やかなカラフルなタイルで緻密な紋様が描かれている。その色使いを見ているだけで楽しい。装飾への執念で言えばこちらも決して負けてはいないだろう。内部も一応金装飾が施されているが、天井部分のみに留まっている。なんとなく節度があって僕としてはこちらのほうが好きだった。

 休みの日だったからか、教会の中では神父様による説教が行われていた。どうすればいいのか分からなかったのでそのまま席に座って内部装飾を眺めていたのだが、途中で席を立って良いのかどうかも分からなかった。隣に座っていた欧米人が席を立ったので、便乗して外へ出たのだが、異宗教施設を見学するときの勝手というのは難しい。観光地化されているから、向こうも割り切っているのかもしれないけれど。

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トナンツィントラの路地。観光名所の教会以外は寂れた田舎町である。なぜか教会の写真を一枚も撮っていなかったので、気になる方はトナンツィントラで検索してください。

 一通り見て、バスに乗ってホテルに帰ってくると疲れて眠ってしまい、また夕食を食べ逃してしまった。コンビニで買ったチョコチップクッキーを齧って飢えを凌ぐ。このクッキーの味はミスターイトウのチョコチップクッキーと全く同じです。だからどうしたってことではないのだけれど、そういうどうでも良いことが意外と後になって記憶に残っていたりする。

メキシコ旅行記 八日目「ピラミッドの血塗られた歴史」

 

 日曜日である。今日も研究は休み。朝五時に起床。ようやくまともな時間(?)に目を覚ますことができた。


 朝食はいつものカフェではなくホテルの近くにある別のカフェに行ってみた。そこでモレ・ポブラーノを食す。モレはソースの意、ポブラーノは『プエブラの』という意味を示し、その名の通りプエブラの名物料理である。

 モレ・ポブラーノは鶏胸肉をソースで煮込んだものなのだが、そのソースが特徴的で、チョコレートを使用しているのだ。

 見た目はまさにチョコレートのブラウン色で、他にもゴマ、アーモンド、トマト、トウガラシ、シナモン、クローブなどが入っている。チョコレートの甘さの中に、各種スパイスの風味が確かな存在感を示している。人によって好みが分かれるようで、僕はプエブラ料理の中では最も美味しいと思ったが、他の日本人メンバーたちはイマイチのようだ。とにかくプエブラに来たら食べる価値のある一品なのは間違いない。なんとなく甘辛い味付けは名古屋料理の味に似てなくもない。

 

 いつものカフェと違う店に来たが、コーヒーの味はやはり薄い。メキシコのコーヒーは薄いのだろうか? メキシコだがアメリカン・コーヒーというのはこれ如何に。ちなみにアメリカン・コーヒーは和製英語なのでアメリカには存在しません。ご注意を。
 研究所には行かなかったが、金曜日の実験が上手く進まなかったのでホテルでプログラムを書き直すことにした。十時くらいまでプログラムを修正し、昼まで仮眠を取った。仮眠後はきちんと昼に目を覚ますことが出来た。生活リズムがまともになってきて嬉しい。


 昼飯はタコス屋へ行く。広場から少し外れた通りにある店で、コンクリートの壁に囲まれた中庭に案内された。ここで食べたタコスは日本で食べるものに近い代物だった。ふつうトルティーヤは生の柔らかいままで食べられることが一般的だけど、この店では鉄板で焼かれていて香ばしくパリッとした食感になっている。中に包むのはTボーンステーキと焼いた葉玉ねぎである。これに、これでもかというくらいのサルサをかけて食べる。トルティーヤに巻くのに骨付きの肉なのはどうかと思うが、味は美味しい。日本で想像されるようないかにもなメキシコ料理である。どんな料理にもサルサを掛けることに抵抗がなくなりつつある。確実に味覚がメキシコナイズされている。


 昼食後はプエブラの中心地へ行こうと国道沿いのバス乗り場へ向かった。五分おきくらいで次々とバスが来るが、どれに乗ればプエブラの方角へ行くのか分からない。バスの正面に行き先が表示されているのだが、プエブラと書いてあっても他の場所が併記されていて最終的な目的地が分からない。

 ええいままよ、と死語を唱えてバスに乗り込んだものの、明らかに違う方角へ向かい始めたので慌てて降りた。もしかしたら最終的にはプエブラにたどり着けるかもしれないが、とんでもない場所で降ろされたら帰ることもままならない。

 良い大人なのだから知らない場所で降ろされたって大丈夫だろう、と思われるかもしれないけれど、もし治安の良くない場所に着いてしまったら命に関わる問題である。ちょっと街の中心から外れると、誇張でなく空気が変わるのだ。家々の見た目や街を歩く男たちの表情が街の中心のそれとは明らかに異なっている。ひりひりとした雰囲気が肌から伝わってくるのだ。


 そんなわけでこの日にプエブラの街に行くのは諦めた。エルネストにどのバスに乗れば良いのか訊いてからでも遅くないだろう。

 バスで降ろされた街の外れからホテルに戻るまで結構掛かってしまい、ホテルに戻ったのは午後三時だった。まだ陽は高いのでピラミッドに行くことにした。


 チョルーラの街と言えばピラミッドである。といってもほとんど現存しておらず、小高い丘の裾野にその名残がある限りである。丘の頂上にはスペインの征服者によって建立されたレメディオス教会がある。チョルーラの街のどこからでも教会の姿を見ることができる。レメディオスといえば『百年の孤独』のベッドシーツと一緒に風に吹かれて天に召された少女と同じ名だが関係はない。


 チョルーラのピラミッドには血塗られた歴史がある。

 スペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスはメキシコの先住民族たちのアステカ文明を征服した。コルテスの功績を記した書物の中にはチョルーラの名前が必ず出てくる。

 コルテスはアステカ文明を征服する過程でチョルーラに住む先住民族を三千人以上虐殺した。

 当時のチョルーラの人口が三万人ほどだというから、1割以上の人間殺したということになる。チョルーラの先住民族はスペイン人に対し無抵抗であり、ただただ一方的に命を奪われた。

 コルテスはアステカ文明に対して全く理解を示さなかったという。むしろ忌むべきものとして軽蔑してさえいた。彼はアステカ文明を破壊し尽くし、チョルーラのピラミッドも破壊した。コルテスはスペインでは紙幣になるほどの英雄だけれど、彼がこの街を血で染めたこともまた事実である。

 コルテスはアステカ文明を軽蔑していたが、同時にまた恐れてもいた。このチョルーラの街にたくさんの教会があるのは、アステカの神々を鎮めるためだと言われている。

 この小さい街も壮大な世界史の一部に織り込まれているのだ。

 

 ピラミッドの跡地の丘の高さはそれなりにあって、坂を登り終えて教会にたどり着いたときには息が少し切れてしまった。そうでなくてもこの街は標高が高く空気が薄い。頂上からはチョルーラの街が一望できる。カラフルに彩られた家々を上から眺めるのは中々に壮観だ。

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ピラミッドの跡地にそびえ立つレメディオス教会。観光客が列をなして登っている。

 丘の上に立つ教会はこれまでに行った教会とは明らかに雰囲気が異なっていた。あの呪術的な土着の匂いがないのだ。内部には金装飾が施されているものの、その意匠は西洋式に限りなく近い。

 冷静に考えればそれは当たり前のことかもしれない。アステカ文明を滅ぼしたスペインが、自国の征服を示すために立てているのだから。そういう意味ではこの教会は街の生活とは切り離されているのだ。中にいるのは観光客ばかりで、アメリカ人と思われる白人が多い。僕もまた観光に来た外国人の一人なのだ。アジア人は僕以外いなかったけれど。

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メディオス教会の正面入口。整っていて文明的な印象を受ける。

 丘を下りて遺跡の方へ回るとそれらしい入り口があったので通ろうとしたらところ警備員に呼び止められた。
「そこから入るのではなくて、あっちから入ってくれ」

 警備員は英語でそう言った。

 街の人間から英語で話しかけられたのは初めてだったので、なぜか感動に近い気持ちを抱いてしまった。この一週間、研究メンバー以外のメキシコ人と英語で会話していないのだ(ホテルのコンシェルジュは除く)。コミュニケーションに飢えている自分に気付く。警備員ともっと会話したかったが忙しそうだったのでその場を去った。

 遺跡はとても素晴らしかった。入植時にスペイン人に破壊されてしまったので、ごくごく一部しか残っていなかったけれど、それでも感動を覚える。ピラミッドというとエジプトのピラミッドを想像するけれど、こちらは火山岩を加工して作られているため見た目の印象が大きく違う。墓というよりは神殿のイメージに近い。階段の前には白く滑らかな岩で作られた石碑があり、その横には直径1メートルほどの球形をした石像が置かれていた。石像には顔が彫られていて、まるでダルマのようである。石碑は「ワンダと巨像」のセーブポイントを彷彿とさせた(ゲーム脳ですみません)。

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何の意匠かわからない石像。虚ろな目でこちらを見つめているようにも思える。

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跪いて祈ればセーブできそうな石碑。

 ピラミッドの一部は修復されており実際に登ることができるのだが、とても急な角度だったので降りる時が怖かった。この修復された階段は、あまりにも人工的すぎる(現代的に修復されすぎている)と地元民からは不評のようである。名古屋城だって中にエレベータがあるくらいだし、僕なんかはまぁそんなものじゃないのと思ってしまうのだけど。

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修復されたピラミッドの階段。手すりもなく、怪我人が続出しそうな勾配である。

 それにしても、ひとつの文明が滅ぼされて、その宗教的シンボルの上に侵略者の宗教施設が据えられているというのは、人類の侵略史の縮図ではないかと思う。

 ホテルに戻っても、窓から見えるピラミッドの上の教会を眺め、そんな世界の歴史に思いを馳せた。