惑星間不定期通信

小説を書いています。本や映画の感想やその他なども書きます。

メキシコ旅行記 二十五日目「メキシコシティへ帰る」

 水曜日。徐々に日本時間に慣らすため夜更かししていて朝起きるのが少し辛い。

 トランクにいろいろと荷物を積み込んで、いつものカフェにてメキシコ自治大学のスタッフと待ち合わせる。このカフェで食べるのもこれで最後である。

 チュレータという豚肉にチリソースをかけたものを食べたのだが大変辛い。この国で食べたものの中で二番目に辛い。最後に痛い一撃を食らわされた気分になる。一緒に頼んでいたメキシカーナの卵が救いだった。

 朝食後に屋台でタマレスというメキシコのポピュラーなおやつを食べる。トウモロコシ粉を固めてトウモロコシの葉に包み蒸したもので、ほどよい甘さで美味しい。日本のういろうや蒸しパンのような味わいである。

 ホテルのチェックアウトを無事に済ませて研究所へ。データをコピーして部屋を片付ける。一時頃に研究所を後にし、エルネストの運転でメキシコシティへ戻る。

 ハイウェイの眺めは非常に良く、遠くの巨大な山々や広大な景色に圧倒された。

 車中、外の景色を眺めながら、僕はここへ来たときのことを思い出していた。来た時に車から眺めた外の景色はただただ恐ろしく、荒れていて、酷い場所だと思った。こんなところから早く帰りたいと思っていた。だがその荒々しい自然の美しさや、街の風景を愛おしくさえ思える。

 メキシコという国は、着いてすぐに好きになるような国では無いのかもれない。その土地に暮らしてみて、人々と触れ合い、料理を食べることによって、段々とその良さが理解できて好きになる。僕の中で、日本に帰りたいと言う気持ちと、まだまだこの国を見てみたいという気持ちが、不思議と両立していた。

 ハイウェイの途中の土産物屋でスウィートポテトを購入した。ひとつ30ペソ。そのままハイウェイを走り、途中のレストランで昼食を取る。鶏肉にパン粉をつけて焼いたものと、焼いたトルティーヤにチーズとキノコを挟んだものを食べる。エルネストが食べていた骨の髄のスープを少しもらった。ゼリーのようで悪くない味。

 レストランからの眺めが素晴らしく、遠くまでトウモロコシ畑が広がっており北海道を思い出した。そこから二時間ほどで今夜泊まるホテルへ。

 

 メキシコシティを落ち着いて眺めるのは初めてだった。メキシコシティの道路はかなり渋滞していた。確かに名古屋よりも都会なのだけれど、土地に余裕があって道が広いので東京の町並みとも異なっている。

 ホテルの途中でメキシコ国立自治大の傍を通った。大学の敷地内にある巨大なスタジアムや壁画が車窓から見えて、心が躍った。メトロバスと呼ばれる決められたレーンを走る二両連結のバスが見えた。車両の間は電車のように蛇腹で連結されていて快適そうである。

 ホテルは高層ビルの綺麗な建物で一泊6000円程度である。キングサイズのベッドがふたつの部屋である。アメニティもしっかりしている。ホテルの中にスポーツジムがあるというのでのぞいてみたが、二、三のウェイト器具とランニングマシーンがあるだけだったので期待外れであった。

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ホテルの窓から見える景色。メキシコシティの中心からは外れた郊外だが、それでもチョルーラよりは遥かに栄えている。

 夕食は通りを挟んだ向いのショッピングモールのフードコートでハンバーガーを食べる。安いがかなりボリュームがあり肉もしっかりしている。ホテルの前の通りはかなり大きく、片道6車線もある。それを横断するには横断歩道を渡らねばならない。横断歩道の両出口には警官が立っており、腰にリボルバーを威圧的にぶら下げている。なぜ両出口に警官が立っているのかというと、横断歩道で強盗に挟み撃ちにされて逃げ場所がなくなるということを防ぐために、両側からガードしているという訳である。チョルーラの街ではこのような露骨な警備というのは見たことが無かったので、メキシコシティの洗礼に軽く鳥肌が立つ思いがした。この街では歩道橋を渡ることさえ命がけなのだ。

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両出口に警官が立っている歩道橋。

 ショッピングモールは、チョルーラにあったしょぼくれたものではなく、現代的でブティックやらなんやらが並んでいるので日本のイオンとほとんど変わらなかった。なぜだかがっかりしてしまった自分が居た。特に何を買う訳でもなく、食事を終えてホテルに戻り、風呂に入る。

 ベッドはチョルーラのホテルよりもふかふかで寝心地が良さそうだが、日本の時差に合わせるために夜更かししなければならない。またあの悪夢のような時差ボケには悩まされたくない。

メキシコ旅行記 二十四日目「トウモロコシ畑の海と教会の旗」

 火曜日。寝る前にテキーラを飲んだせいか午前五時に目を覚ました。二度寝も出来ずドストエフスキー「白痴」の下巻を読み進める。

 朝食にいつものカフェに行くと開店準備がまだできておらずいつもの席に座れなかった。今週に入って徐々に開店準備が遅れている気がする。頼んだことの無いメニューに挑戦してみたら、我々が「餡子」と読んでいる豆の漉したものが大量にかけられたトルティーヤが出てきた。この「餡子」は塩茹でしたあずきのような豆をペースト上にしたような味で、素朴で悪くは無いが大量に食べたいような代物では無い。気持ちが萎えて、不調気味の食欲もますます出なくなる。

 ローテンションでバスに乗ると、いつもと同じ行き先のバスに乗ったはずなのに、乗客がいつもは見かけない女子高生ばかりだった。我々の行く先に高校なんてあっただろうか、と首を傾げているといつも直進する道で曲がり青々としたトウモロコシ畑を横切る道路を突っ走り始めた。

 慌ててバスを降りると、そこはトウモロコシ畑の真ん中の教会であった。祭りでも無いのに教会の尖塔の先には旗がぶら下げられている。

 僕たちはトウモロコシ畑の真ん中を歩いて、研究所に向かった。

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トウモロコシ畑の真ん中に建つ名の知らぬ教会

 三十分くらい歩いてようやく研究所にたどり着いて仕事を開始する。大量のコネクタを差し替える作業をして腱鞘炎になりかける。力を込めないとコネクタが差せないので指先も痛くなる。全てのコネクタを差し替え終えると午後一時になっていた。非常に疲れた。

 昼食は食堂にてツナサラダをアボガドにつめたものを食べる。食欲は湧かず。軽く食べられそうなメロンとバニラアイスを食べる。

 四時には仕事を終えると管理人に「今日も早いじゃないか」とからかわれる。もしかしたら日本人の残業文化がメキシコにも知れ渡っているのかもしれない。帰る際にエルネストが研究所内に歩いている犬を見て

「ドッグは日本語でなんて言うんだ?」と僕に尋ねた。

「イヌだよ」と僕は教えた。

 そうするとエルネストはアレハンドロの肩を叩きながら「イヌ! イヌ!」と呼び始めた。メキシカンジョークは意味がよくわからない。アレハンドロはエルネストよりも二回りくらい年上のはずだが、どういうわけかこの二人はかなりフレンドリーな関係のようだ。

 ホテルに戻り、すぐに風呂に入って洗濯をする。明日の朝にはホテルをチェックアウトするのでいつもよりも強く水を絞る。

 一通りやることを終えて夕食までネットサーフィンをしていたのだが、雨が強く降り出して雷が近くに落ちた際に、急にネットが使えなくなってしまった。

 以前にも天気が悪くなった際にネットが不通になってしまったことがあるが、やはり雷のせいなのかもしれない。しばらくするとネット回線は復活した。

 夕食はメキシコスタッフたちと広場沿いのレストランへ。ポブラーノソースの掛けられたチキンとテキーラを飲む。

「これはプエブラのトラディショナルな酒だ」と卵酒のような甘い酒を飲む。美味しい。テキーラも美味い。スーパーで買った安物とは大違いである。しかもおごってもらってしまった。食後は広場の出店をひやかす。先ほど飲んだ卵酒が売っていたので色々な種類を試飲する。美味しかったが既にテキーラを買ってしまっているので買わないでおいた。

 いくつかの出店では日本の商品も売っていて、招き猫や剣玉や日本刀のレプリカが売っていた。なぜかドーモくんのTシャツやぬいぐるみが散見されたが、もしかしてメキシコでは人気キャラなのかもしれない。

 明日はこの街を引き払ってメキシコシティに一泊し、ようやく日本に帰ることになる。

 おそらく、僕はこのチョルーラの街には二度と来ないだろうと思うと、街の景色が惜しく思えた。広場や教会の群れや滞在したホテルを目に焼き付けるようにして歩いた。

メキシコ旅行記 二十三日目「遥か果ての中国」

 月曜日。朝から少し寒い。

 朝食はいつものカフェにてトルティーヤがチリソースに浸されたものを食べる。皿全体に大量に盛られており食べきれず満腹になる。

 研究所にてひたすらプログラムを書く。色々とやることがあったのであっという間に時間が過ぎる。先週は腹痛でまともに働けなかったが、何もすることが無く隅っこでぐったりしているよりはマシだ。 

 昼食を取るために食堂に向かう途中ハビエロとすれ違う。

「今日の昼飯は中華料理だぜ」とハビエロは言った。

 しかして、昼食のメニューは牛肉とほうれん草のトマトソース煮込みであった。

 僕はハビエロに教えてあげたかった。中国ではトマトソースなんて使わないのだと

 もしかしたらメキシコ人が食べている中華料理は中華料理ではないのではないかという疑惑がふつふつと湧いてくる。よく考えたら中国は地球の反対側なのだから、歪んだ形で伝わってしまっているのかもしれない。中華料理に必要な甜麵醬やら花椒やらだって、たぶん高級スーパーにでも行かないと手に入らないだろう。こんな田舎の研究所の食堂にそんなものがあるはずがないのだ。

 名古屋市はメキシコと姉妹友好都市を結んでおり、小学校の給食にタコスが出たことがあるのだが、このメキシコで食べるタコスとは似ても似つかないような酷い味だった。それと同じ現象がメキシコの中華料理に起きているのかもしれない。
 
 四時頃には仕事を終えてチョルーラに戻る。

 夕食は広場沿いの店に行く。英語のメニューがあったので「これで好きなのが選べる!」と思うも、キノコのチーズフォンデュを頼んだらキノコしか入っていないものが出てきた。確かにメニュー通りなのだが、僕が欲しかったのはこれじゃないのだ。味は良いがひたすらチーズだけを食べ続けるのはつらい。なまじ内容がわかっていただけに起きてしまった出来事である。

 先輩はチレス・エン・ノガダを食べていたが「もう二度と食べたくない」と言っていた。悪い店ではなかったが、頼み方を間違えてしまった。

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日記の内容とは関係ないですが、ホテルの前はこんな感じのこじんまりとした路地になっています。

 店を出ると雨が降っており、やがて激しい雷雨になった。

 ホテルに帰ってパソコンをいじっていると、充電ができていないことに気付いた。心なしか部屋の電気がいつもより薄暗い。どうも雷雨のせいで電力が安定していないようだった。

 ホテルの電気が明るくなったときにアダプタを付け直したら充電可能になったが、それ以来アダプタの調子がおかしくなり、コンセントを抜き差ししないと充電されないようになってしまった。もしかしたら雷のせいで過電圧が加わり、壊れてしまったのかもしれない。

 電圧が元に戻り一安心したら今度は水道の勢いが弱くなる。風呂に入ろうと思ったのに入れなくなってしまった。当たり前のインフラの重要性を改めて感じながら、諦めるような気持ちで眠りに着いた。

メキシコ旅行記 二十二日目「マンネリ化する日曜」

 日曜日。

 朝はホテル近くのチェーンのカフェへ二週間振りに来てみた。適当に頼んだらスクランブルエッグになってしまった。それと菓子パンを食す。味は良いがいつものカフェに比べるとボリュームに欠ける。いつものカフェがボリューミーなだけかもしれない。
 食後にふらりの街を回る。日曜なので結婚式が行われているのかと思ったのだけれど、見かけることはなかった。もしかしたら仏滅なのかもしれない。メキシコにそういうような文化があるのかは知らないが。

 ミニスーパーにてテキーラ(ドン・フリオ)を購入する。日本で買えば四千円以上するが、二千円もしないくらいで買うことができる。ドン・フリオのテキーラはエルネストがお勧めしていたのだが、飲みやすく華やかな味でとても美味しかった。
 ホテルに戻りダラけていたのだが、いつホテルの清掃が来るかわからずトイレにも行けない。ホテル内のトイレはなぜか鍵がかかっていて使用できず、無駄にホテル内をうろうろして清掃が終わるのを待ったが正午になっても清掃は来ない。忙しいのだろうか。

 結局トイレは部屋でさっと済ませ、昼食へ。

 これまた二週間振りに例の中華料理屋に来た。前に来た時に美味しくなくて落胆したが、毎日メキシコ料理ばかり食べているとそんな中華料理でも再び食べたくなるものなのだ。

 今回食べたのはチャーハンと、ジャガイモの甘辛煮と、鶏肉と野菜の炒め物。全体的にすこし辛い。とりあえず辛くしておけば良いやみたいなニュアンスの辛さである。日本に帰りたい気持ちがまた強まる。

 食後はどこか散歩に行こうと思ったがチョルーラの街は正直もう見飽きたのでプエブラへ行くことにした。

  バス停からはダイレクトバスと呼ばれる終点までどこにも止まらないバスが出ていたのでそれに乗り込んだ。バスターミナルの近くまで一直線に連れて行ってくれた。とりあえずソカロを目指し、州庁舎の写真を撮る。カテドラルに入ろうとしたらミサの途中だったらしく奥に行けなかった。なんとなく気持ちが萎えたので適当に街をぶらつくだけにしておく。前回の来訪でめぼしい観光名所はあらかた見てしまったし、本屋でガルシアマルケスを見かけた以外は特に面白いことも無かった。

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プエブラの往来は観光客で賑わっている。子どもたちが吹いたシャボン玉が写真に写り込んでいる。

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奥に見えるのは州庁舎。

 帰りのバスの心配ばかり頭に浮かぶのでさっさと帰る。バスターミナルからバスに乗る。また前と違うバスに乗った。なんでろくに行き先もわからないのに毎回違うバスに乗るのか、馬鹿なのか自虐なのかと自問自答する。ギターを持った若い男に「チョルーラ、セントロ?」とバスを指差しながら尋ねると頷いたのでそれに乗った。

 途中までは大通りをひたすらまっすぐ進んでいたが、前回のように突然路地に入りだした。しかし前とまったく同じルートだったので焦ることは無い。無事にホテルの近くまでたどり着くことができた。今回のプエブラ来訪は完全に無事に帰ることが目的と化していた。満足。

 夕食はドミノピザへ。お祭りで広場には人が多い。広場に出来た即席遊園地が客で賑わっていた。屋台は美味しそうだが衛生的に怖いので止めておいた。

 ドミノピザで会計で問題が発生し、お釣りがもらえなかった。僕なんかはこういうことがあったときにはすぐに仕方が無いと諦めてしまうタチなので、お釣りなんてチップ代わりにくれてやれと思ったのだけれど、先輩はかなり怒ってバイトに文句を言ったのだが、なにぶん日本語なので向こうも困惑するばかりである。結局お釣りはもらえず、出されたピザを黙って食った。

 帰宅して風呂に入り洗濯をしてテキーラで晩酌。就寝。

メキシコ旅行記 二十一日目「小康する休日」

 土曜日。調子が良かったので朝はいつものカフェでスクランブルエッグとチョコレートマフィンを食べる。先輩がプエブラに行くというので昼は独りで食べることになった。

 昼まではダラダラとネットサーフィンをして過ごす。エルネストから体調を心配するメールが来ていたので英語で返す。英語でメールを書くのは初めてだったのだが難しい。病院のお礼と、症状がだいぶ良くなったことを伝えた。

 昼飯はカフェの隣にある軽食屋でタコスとスープを食す。ドリンクはいらない、といったのにコーラが出てきた。「ノー」が「コーク」に聞こえたのだろうか? 予想以上に満腹になったので食後に散歩がてらピラミッドへ。腹の具合はだいぶ良くなっていた。

 教会へ上がると椅子を外に出して合唱が行われていた。遺跡の方に入ると、他の観光客が僕を指差してなにかを言っていた。どうやら記帳しろ、ということらしい。前に来た時は記帳なんか求められなかったのに。しかしながら遺跡は何度見ても面白い。中学生くらいの男の子が僕を見ながらニヤニヤしていた。あのくらいの年頃は異質なものを見ると馬鹿にしたくなるのかもしれない。僕もそうだったような気がする。

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メディオス教会の内部。

 帰りにピラミッドの近くに点在する土産屋を冷やかすがとくに欲しいものもなかった。スーパーに行きテキーラを買おうと思ったが、高級なものはガラスケースに入っていて買えなかった。仕方なく安物を買った。これは安すぎてお土産にはできないだろう。

 夕食はチェーンの軽食屋でハンバーガーとチャイとチェロスを食べる。美味い。ハンバーガーはマヨネーズしか味付けがされていなかったのでケチャップを自分でぬった。おそらくケチャップかサルサか、と自分で選べるようにしているのだろう。

 コーヒー豆も売っていたので研究室の土産用に購入。五百グラムで六百円くらいなので非常に安い。店のお姉さんが僕に尋ねたが、スペイン語だったので何と言っているかわからなかった。

 僕が困った顔をしていると、お姉さんはちょっと笑って豆と挽いたものをわざわざ持ってきてみせてくれた。親切なお姉さんのおかげで無事に豆が手に入った。この街の人は大体親切だ。

 ホテルに戻り風呂に入って洗濯を終えてから、買ってきた安物テキーラを飲む。まあ、こんなものだろうという味。決して粗悪な味はしない。飲みやすくて悪く無い。残念ながら銘柄は失念してしまったのでここには書けない。あしからず。

メキシコ旅行記 二十日目「クラシック・プロブレム」

 金曜日。先に言っておくと、驚くほど何もしていない日だった。

 薬を飲んだら差し込む痛みはなくなったが小さな痛みがずっと続いている。カフェにてココアを飲むが、飲んでいたらまたあの痛みが復活する。薬局にて不味い栄養ドリンクを買って研究所へ。

 仕事をしたのは最初の30分だけであとはずっと隅っこでぐったりしていた。久しぶりに顔を出したハビエロに病状を伝えると「そいつはメキシコのクラシカルなプロブレムだ」などと言う。なんだよクラシカルて。風土病ってことなのか?

 昼食は食べずにいたらだんだんと体調が回復してきたので夕飯はコンソメスープ。前に別の店でコンソメスープを頼んだ時もそうだったのだけれど、中に米が入っている。この国のコンソメスープは米が入っているのがデフォルトなのかもしれない。病身にはちょうどいいお粥もどきだった。ホテルに帰って料理動画をみて腹を減らした後に就寝。 

メキシコ旅行記 十九日目「そしてぼくらはアミーゴとなった」

 木曜日。部屋のトイレットペーパーがなくなってしまったので朝から部屋の外のトイレを使う。

 いつものカフェに行くが紅茶だけ飲む。僕が具合悪そうにしていたからか、なんと無料だった。チップを多めにはずんでおいた。

 研究所に行き、朝一で所内のメディカルスタッフに見てもらう。エルネストが同行してくれて、英語で通訳してくれたからなんとかなった。スペイン語がまったく話せなかったら医者に見てもらうのも難しいだろう。

 薬を処方してもらい、エルネストの車に乗ってチョルーラに戻り薬局へ行った。道中エルネストと個人的な話をし、前よりも打ち解けることができた。

「アミーゴというスペイン語はわかるか」とエルネストは僕に尋ねた。

 僕は、わかると思う、と答えた。

「俺とお前はアミーゴだ。困ったことがあったら相談してくれ」

 僕は頷いた。

 四種類の薬で千円くらいだった。保険が利いていないのにこの値段は安い。やたらと大きな錠剤はとても怪しげな雰囲気だが。エルネストが丁寧に薬の飲み方を教えてくれた。

 薬を飲んだら突き刺されるような急激な胃の痛みはなくなった。薬とともに処方された謎のミネラルウォーターは、甘いし、辛いし、なんだかよくわからない不思議な味である。昼食は食べず。ほとんど隅っこでぐったり眠っていた。

 メキシコ自治大学から学部生たちが来た。例のごとく全員太っている。女の子も居たが、エルネストと挨拶のキスをしていた。

 恋人なのか? それともマウストゥマウスのフレンチキスなのか? それをエルネストに尋ねる勇気はなかった。やはりまだ僕たちは本当のアミーゴにはなれていないのかもしれない。

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エルネスト(左)と筆者(右)。後ろはオリンピック会場にもなったサッカースタジアム。

 夕食は大勢で食べに行くようだったが僕はホテルに戻る。下痢は出なくなったので昨日買ったお菓子を食べたが、また差し込むような痛みが復活する。

 風呂に入ってさっさと寝よう。あと一週間、がんばろう。